こんにちは!



今日は内容がかなり重くなってしまうので
見たくない方は閉じてくださいあせる
そして気持ちの整理をしようと書き出したら
すごく長くなってしまいましたあせる






















先週末、私の父方の祖母が亡くなりました。



祖母は私が小学生のときに
くも膜下出血という病気で倒れ
一命はとりとめたものの
右半身不随と言語障害、記憶障害も残り
はじめは母が自宅で介護をしていましたが
私を含め、育ち盛りの子供を3人育てながら
祖母の介護をするのは難しく
特養へ入り生活していました。




病気で倒れる前は
あまり頻繁に祖母に会っていなかったので
正直、
健康だった頃の祖母の記憶はありません。

でも、在宅介護のときはもちろん
施設に入ってからも定期的に
祖母と接するようになりました。

言葉は話せないし
お医者さんからは記憶は無いと
言われていたけれど、
会いに行くといつも満面の笑みで
迎えてくれました。
絶対に記憶あるよね!って
家族で話していました。

話すことが出来ない
おばあちゃんのコミュニケーションは
笑顔と左手で握手。
一緒にいる間はずっと、握手。
おばあちゃんの笑顔、可愛かったなぁドキドキ
とても小顔で色白で
美人すぎるくらい美人なおばあちゃんでした。
どんなに近づいても毛穴無いし!笑
羨ましい笑い泣き



そして去年、私が妊娠して
少しずつ大きくなってきたお腹を
おばあちゃんに見てもらいたいね。となり
年末に東京の施設へ行ってきました。
おばあちゃんの誕生日はクリスマスイブなので
誕生日プレゼントに膝掛けを持ってラブラブ

「おばあちゃん、ひぃばあちゃんになるんだよ」
と、おばあちゃんの手を私のお腹に
持っていって触ってもらうと
いつも以上にニコニコな気がする!
旦那さんも、
「おばあちゃんずっと笑顔だったね」ってラブラブ
いつもは途中から真顔になったり(笑)、
飽きてテレビを見始めたりするので
こんなにずっとニコニコなのは
珍しかったです。



この日が、最後になってしまいました。
年が明けてコロナが流行りだし
私たち夫婦は東京へ行けなくなり
施設も面会禁止になったので
実の息子(私の父)とも会えず。。

2ヶ月くらい前
祖母がだんだん食べられなくなってきている
と、施設から父に連絡がありました。

もうそろそろかもしれない。
と、父は言っていました。

特に後遺症以外の病気はなくて老衰です。
亡くなった日のお昼まではニコニコ笑って
少しだけ昼食も食べていたみたい。




私としては、
生まれた娘を見せに行きたかったな。
このご時世で、間に合わなくて残念だった。
という気持ちでいっぱいです。
でも、
祖母が苦しまずに穏やかに逝けたことは
良かった。

娘の笑った顔が祖母にとても似ていて
祖母は亡くなってしまったけれど
こうやって命が受け継がれていくって
当たり前だけど凄いことだよなぁ
こうやって祖母のことを感じられるんだなぁ
とも思います。






今、一番心配なのは父で。
色んなことをすごく後悔していると
自己嫌悪に陥ってしまって、、

うちの両親は昔から仲が悪く
母とは別居しているので
こういうときに、
母(妻)に支えてもらうことも出来ず。

弟がいますが(私から見て叔父)
叔父は10年前くらいから音信不通に
なってしまいました。

話が少し脱線してしまうけれど
5年前に父が病気で倒れて危篤状態でした。
母は父と関わりたくないと病院へ行かず。

そのあと父は意識を取り戻したものの
相変わらず命は危ない状態で
集中治療室にいましたが
毎日お見舞いに行くと
父はせん妄を見ていました。

真っ白の壁や天井を見て
「〇〇ちゃん(私)、見て、山が綺麗だねぇ」

部屋のライトを見て
「フランスのマフィアが襲ってくる!」
今思い出すとちょっとだけ笑っちゃうけど
当時は怖くて怖くて。
せん妄という症状もその後知ったので
父の頭がおかしくなってしまったと
泣きながら仕事と病院を行き来する毎日でした。

お医者さんからは
「いつでも電話をとれるように、枕元に携帯を置いておいてください」
と言われ、気持ちが休まらない期間が
半年間も続いたので
私自身も体を壊したりしていました。

そんなときに弟2人の存在は大きくて
弟たちは毎日お見舞いへ行けなくても
父のことを相談し合ったり
辛さを共有できたり。
今まで当たり前のように兄弟がいたけど
改めて兄弟がいてくれて本当に救われた
と感じました。



なので、1番辛いときに兄弟と共有できず
ひとりで耐えている父を見るのが
本当に辛くて。

お顔を見て祖母とお別れしたい気持ちと
父のそばにいたい気持ちとで、
「東京行く」と言ったけれど

「今〇〇ちゃん(娘)がまだ小さいのに、東京へ来てコロナにかかったりしたら、パパが後悔してしまうから」

と止められました。

母からも
「おばあちゃんには申し訳ないけれど、今は生きている人の命を守ることが1番大事だから来るのはやめといた方が良い」
と強く止められました。

心配の種を増やしてまで東京へ行くのは
父にとって負担が増えるだけかな
自己満足かな
父も免疫力が低いし。

「せめてワクチンをお互いに摂取してから会おう」
と言う父の言葉に従うことにしました。





でもやっぱり、
どうしても父の孤独を見るのは
胸が痛いです。

今はとても穏やかな父ですが
父は、私が母のお腹にいる頃から
母に暴力を振るっていました。

私の1番最初の記憶も
父と母が激しい喧嘩をしている光景です。

弟2人は怖がって泣くので
私は弟たちを守らなくちゃと
押入れに弟たちをいれて
ママを叩かないでと
泣きながら父と母の間に立って
止めようとした記憶もあります。

父の機嫌が悪くならないように
わざとアホなことしたり
私のことを笑って家族が仲良くいられるなら
それが1番だと思っていました。

母は、
「祖母は弟(叔父)ばかりに愛情を注いでいたから、父は愛情に飢えている。だからそうやって、力で従わせようとする。」
と言っていました。
父に対する祖母の態度などを見てきて、
そう感じたそうです。

暴力は絶対に許せません。
でも、
父はどうやって心を通わせたら良いのか
分からないのかもしれない。

祖母の愛情を一身に受けていた叔父は
音信不通で
でも父は叔父のことを一切悪く言わず

父が危篤状態で意識混濁しているときに
「お母さん!!」と叫んでいたり。

父の、祖母に対する気持ちが
本当に痛いほど伝わってきて

「1番最悪なのは、おばあちゃんより俺が先に死ぬことだったから、それが避けられたのは本当に良かった」
と泣きながら電話で言っていて。

娘の私がこう感じるのは変かもしれないけど
父を抱きしめてあげたいって思います。

そして、娘の寝顔を見ていると
絶対に父や私たち兄弟のような思いは
させてはいけないとも思います。

今は純粋に祖母のことを思いたいのに
母に対してモヤモヤすることがあり
夜眠れなくなったりするので
気持ちの整理をするために
書き出してみました。
このモヤモヤは
ちょっとブログに書けませんが💦
でもその背景に上記のことがあるので。

父を見ていても
自分たちもそうだけど
やっぱり子供は
親を思わずにはいられないものですよね。
娘にはこういう葛藤が生じないような
家庭環境を作って行こうって
改めて思います。