今日施術をしている時に話していたこと。

 ふとした時に出てくる乱暴な言葉とかって、

《自分が自分自身をどう扱っているか。とリンクしている。》


 『いい、いい、やっておくから。細かいことはいいよ。大丈夫大丈夫…』とか、
大切に思ってくれている人とわかってても、『うるさい!黙れ!』とか、『ほっといて』とかね。

 ゆっくり自分を味わう時間が取れてない可能性があるの。
勝手に先読みして、(気にしてしまったら申し訳ない。これくらい私はやらなきゃ…)とか、(また、非難される…)とか、その中に自分の感情が入る余地がなかったりして…

それは相手の感情も勝手に決めて、無視してることにならないかな。

 自分、今どんな感じ?楽しい?疲れてる?一人でいたい?誰かに甘えたい?その人が喜ぶ顔がみたくてしている?義務感?

距離も時間も、お金も自由になるとしたら、本当は今、何したい?

 ただ自分の思いに寄り添うだけでいい。

例えば
(ああ、あの大草原にあった露天風呂にゆっくり浸かりたいよなぁ…)
心地よくリラックスできた感覚を思い出してみて、必ず覚えてるから。

ゆっくり深呼吸しながら、心地よさを味わってみて。

 ただそれだけでいい。行動に起こせるならなおさらいい。✨😁✨✨

 自分を丁寧にみて過ごしていくと、刻一刻がゆったりとそれでいて満ち足りたひとときに変わっていく。

 これがね、最初は恐いんよ。
今迄が、次々にやることを考えたりする日々を過ごしすぎて、それに慣れてしまっているから。

でも、数分珈琲を飲むひとときでもいい。ふと、自分を解放してみて。

気がつくと、ふとした時の言葉が丸く優しくなっていることに気付くから。

それに少しずつ気付き始めた私が、一番びっくりしてる。
でも、ふとしたときにまだ笑顔で、
「私はサイコパスです。」っと言う。
自分を害の有るものに見せようとするところがある。

優しい人と見られることが、くすぐったいんだ。優しくしたいと思っているくせに。

 これもやがて消えてくれると信じる。

まずは、自分に優しく、自分を丁寧に過ごす。
今年のテーマの一つ。
如何にそれをしてこなかったかは、自分の時間をゆっくり取ろうとすると、焦りや罪悪感が出てくることでわかる。
それを許可してあげて。✨😁💖✨✨

 ゆっくり、自分の感情を味わってもいいんだ。喜怒哀楽全部大事。
当然怒りもちゃんと感じてあげる。ここから目を背ける人が多い。

いい人にならなくていいんだ。
大概我慢していい人になると、鼻につくいい人(お節介)って思われて報われなかったりするさ。

 だったら自分のままで、世にはばかる方が健全だと感じるんだよね。😁✨✨