令和8年3月3日 光明日訓 「今」を生きるのが幸福の道である
著作者名(谷口雅春先生)、著作権者名(公益財団法人生長の家社会事業団)、出版権者名(株式会社光明思想社)、
出典名 谷口雅春先生真理の言葉 光明日訓 令和8年版。
私は今、壁にかけた父母の写真を拝んでゐる。二人とも嬉しさうにこにこと笑ってゐる。先ほどは甘露の法雨をあげて先祖供養をした。今が私の至福の時なのである。
日訓の本文
「今」を生きるのが幸福の道である
日訓の説明
あなたの内に宿っている力を「今」に集中したときにのみ、最大の能率を発揮することが出来るのです。あなたの内に宿っている力は、あなたの想念の向かうところに振り向けられるのであります。(中略)今に生命を集中するとき「今」の一点は「久遠無限」に通ずるがゆえに無限の力が湧き出でて来ることになるのです。
(新装新版『真理』第2巻)
福岡の中学校が、実名で「出禁(できん)の貼り紙をマクドナルドの店頭に貼られた。
出禁とは出入り禁止のことである。昔は聞いたことがなかったが、必要最低限の倫理、常識的ノルマを果たさなくなるお客の場合に、最終的に店側から、「もうお宅の学校は来ないで下さい」とつきつけた絶縁状である。
かくいふ私も、長い人生の中で、勤務先から出禁をくらったことが二度ほどある。誰にでも多かれ少なかれあるのかもしれない。然し其の厳しい裁定を、自分への反省材料とするかどうかは、本人次第である。
数十年も前になるが、数学者の岡潔先生が日本の非行少年の数が急増したと言ふことを、重大事だと警鐘を鳴らしてをられた。しかし、文部省もその他の官庁も、どこ吹く風と動かなかった。その結果がこの有様である。
何故日本社会がこんな酷いことになったかは、一にかかって大東亜戦争に負けたからである。そこから倫理の崩壊が始まった。一番悪いのは「人間の基本はアメリカさんが教えて下さった基本的人権といふやつである」と、文部省自身がお先棒を担いだのだから、目も当てられない。その戦後最大の錯誤が、戦後81年にして漸く激しい日光の前に、氷解することになったのである。きっかけは高市早苗総理の出現である。このために私は連日連夜、総理官邸の前に行って、聖経甘露の法雨を読誦することになった。その結果、あちこちで効果が出始めてゐる。非科学的といふなかれ。すべてはこれからの歴史が証明することになるだらう。今暫くの御辛抱を。
動物的なカン
昭和20年の6月17日、鹿児島市は米軍の空襲を受けた。その日は何故か警戒警報は鳴らなかった。我が家はその晩、来客があった。「そろそろ夕食にしようとして、母がふと、外を見ると、真っ赤である。空襲だ!もう飯どころではない。来客を含め、6人が庭に掘ってあった防空壕に飛び込んだ。ところが祖母が「梅干しの樽を忘れた」と言って防空壕から飛び出した。それを連れ戻さうと、父がその後を追った。その時、父の頭上にキーンといふ落下音が聞こえた。咄嗟に父は「焼夷弾だ」と動物的な勘が働いて、防空壕に飛び込んだ。次の瞬間、その場に焼夷弾が炸裂した。防空壕の中まで昼間のやうに明るくなった。その場にゐた祖母はその火を浴びて火傷を負ったが、致命傷には至らず、孫の私が中学生になるころまで長生きした。
さて、この動物的な直観を、私は父から受け継いだものらしい。イランジャパンといふ会社に出向した私は、建設中の南部現場に働いてゐる日本人たちが、余りペルシャ語の会話ができないことを知って、「何かあったら困るからそれを勉強する教材を作らう」と、自社製のカセットテープを作成し、これらの社員に配布した。そしていよいよ、イラン・イラク戦争で南部から撤退する時には、飛行機が使へないので、トボトボと歩いて国外に脱出した。その時、其のペルシャ語の知識が役に立ったといふ事である。
残念ながら、本プロジェクトは中断となり通産省から海外投資保険の支払いを受けて一応の終結を見たが、どこか外の現地の会社が、後を引き取り、石油化学の工場は操業してゐると言ふことを聞いた。
私の動物的直観はまだまだ続く。昨年の夏ごろ、「皇居の周りを歩いて清めよう」といふ衝動を強く感じた私は、皇居のお堀端を歩き出した。それを続けながら、現在は高市首相の公邸の前で、聖経甘露の法雨を読誦して清めてゐる。昨晩もそれを続けた。
果せるかな、国際政治の場裏に浮かぶひ弱な花日本は、高市早苗首相といふ強力な内閣が誕生してゐて、本当によかった。(本日の産経抄)
