1947年の今日、アンネの日記が出版されたらしいです。
念願の(?)アウシュビッツ強制収容所跡にいってきました。
お恥ずかしながら、行くまで知らなかったのですが、アウシュビッツはポーランドにあります。
アウシュビッツというのは、ドイツが占領したときにつけたドイツ語の名前で、ポーランド語では本来はオシフィエンチムという所らしいです。
6月のポーランドは天気がよくてカラリとしていて、最高の気候でした!
青い空、白い雲、緑の草原、そして有刺鉄線と赤い煉瓦のバラック跡と多くの囚人を運んだ線路。
なんだろう、悲劇の跡はあるんだけど、その気配はほとんどない…気持ちいい公園、て感じでした。
英語のガイドツアーだったので曖昧なんですが、理解した範囲で印象深かったことを記録しておきます。
間違っていたらごめんなさい。
虐殺された人たちの写真(ごく一部)。
収容されてきた人たちは、こうして囚人服を着せられ、写真を撮られたそうです。
(ガス室に直行の人も大勢いたようなので、その人たちの分は写真無いのかも…あと戦争終盤で収容のペースが上がってきたとき写真は間に合わず、囚人番号の刺青だけだったと、たぶん英語のガイドさんが言っていたと思います。)
またあとで返却されるからしっかり名前を書いて、と言われて、名前や住所を書いた鞄。
初期に収容された人たちは、より良い場所への集団移住だと信じて来たそうです。中にはナチスから架空の土地を購入して、新天地で新しい生活!と思って来た人もいたらしい。
数日間電車にすし詰めで移動して、到着したら「シャワー室行きのバス」があり、シャワーの後には食事も提供されると言われた。高齢の母が心配だったので母だけ先にバスに乗せて、自分はまだ元気だから歩いて行くと言って母と別れた。それが母と交わした最後の会話だった…。
という生存者のエピソードも。
ガス室跡。
こういう建物に、普通に「シャワーだよ」って案内されたから、みんな「シャワーだー♪」って入って行ったらしい。
虐殺された人たちの義手・義足。
障害者や醜い人(!)、老人、女、子供など、働き手にならない人はガス室直行となるケースが多かったとか。
ナチスは囚人の中にも階層を巧みに作って(中小レベルのグループの管理者を囚人にやらせるとか)、囚人同士が団結せず、敵対するように仕向けていたらしいです。巧い、としか言いようが無い。
今回、アウシュビッツ訪問に際して、アナ・ノヴァック著 「14歳のアウシュビッツ」という本を読んでいきました。
アウシュビッツ他複数の収容所を転々と回されながらも、奇跡的に生存した女の子が、奇跡的に記録した収容所内での手記です。
それを読んでいても、基本みんなが敵!いかに多く食事を得るか、いかに楽な労働の担当になるか、いかにして生き残るか。何をしてでも生き残る!という強い意志があったからこそ、著者は生存できたんだろうなあと思いました。
私だったらだいぶ初期に死ぬわ…ほんと。
体力的にも精神的にも耐えられそうにない。
いっそ死んで楽になりたい、と思ってしまうと思う。
でもその本のなかでは、日常のちょっとした喜び(おしゃれな服を手に入れた、旧友に遭遇した、仕事をサボってもばれなかった、とか)も書いてあったり、新入り囚人が「何これ、酷いところ!」と戸惑っているのを見て、古株の囚人たち(真っ裸の状態)が先輩顔して新人を笑いものにしたりする場面があったりと、なんというか、こういう状況におかれるとそれにも慣れてしまうんだな…と衝撃でした。
ナチスの行なっていることはだんだん周辺国でも噂になってきたようですが、「あんなに高度な文明のあるドイツが、そんな酷いことしてるなんて信じられない」と捉える人も多かったようです。
信じたくなくて目を瞑ってしまうのですね。
たしかに、いまもしどこかの国で同じようなことが起きたと聞いても、信じられないと思う。
原発や放射性物質の問題もそう…。まさか国が国民を殺すようなことしないでしょ、と信じてるけど、国民の多くがこうやって目を瞑っているから、本当のところはどうなのかわからないよね…
ガス室の話にしても、たとえば今回のアウシュビッツツアーで「トイレはこっち」って案内されて入って行った先が二度と戻れないガス室だった…みたいなもんでしょ?!そんなの、あり得るじゃん!!!
今わたしの生きている環境は、いろいろな契約、法律が整備されて、遵守されたうえでなりたっている信頼の社会であって、でも、この環境がいつ崩れるかは本当にわからないのだな、と。
崩れたらきっとまた、当時のような集団の狂気に呑み込まれてしまう。
怖。
私たちの社会が狂気に呑まれないよう、しっかり意識をしていないと。覚醒していないと。いつ何がどうなるかわからんな…。
と改めて感じる旅でした。
しかしほんとに初夏のポーランドは気持ち良かったなあ!
アウシュビッツ(オシフィエンチム)へのターミナルとなるクラクフという街も、のどかでとても良い観光地でした。また行きたいくらいです。
まとまりのない文書でながくなりましたが、とりあえず思ったことを記録しておきたくて。