ミクシィを久々に使ってみた。使ったと言ってもログインして、当時のマイミクやらそこからの繋がりで知っているアカウントを訪問してみた。
足跡やログイン履歴が残る仕様なので、現在使っているかどうかが分かる仕様のミクシィだから分かるのだが、誰もログインしておらず、マイミクのマイミクですら、良くて1~2人のログインを確認できる程度だった。
別のサービスに移り変わっただけだろうが、なんとも廃墟を見ている気分になった。
出たての頃は皆やっていたが、時代が移り変わり役割が別の媒体にシフトしたらアカウントを残したまま放置されてしまう。コミュニケーションツールとは流行なのだと思わされた。
未開封のマイミク申請があったので開いてみると、7年前であり、その人のページに飛んでも同時期くらいに日記も止まっていた。なんともビルの定礎に入れたその時のタイムカプセルを開けてしまった気分になる。
生きてるのか、死んでるのか、それすらも分からない相手、友人、知人。廃墟をめぐり、そこで一人ダンスを踊っている気分でなんともワクワクしてしまう。
そして私のアカウントからも同じく誰かが見れば、生きてるのか、死んでるのかも分からないのだろうと思うと、ちょうど、図書館で便意を催すゾクゾクした気分も追加である。
あと、マイミク申請の殆どは退会したユーザーで、内容を見ると釣りである内容が殆どであった。現在そういう詐欺は別のSNSに移行してるのかと思うと、実は今現在のミクシィは安全なのではないかと思えるのも確かだ。
そういえば、昔シーサーブログにアカウントだけ取っていたのを思い出したが、PCも変りログインIDもパスもメモしてなかったのでもうログインすらできないのかと思うと、なんともロストテクノロジーのような哀愁もある。
稼動しているのは、このフィクションブログだけなので、本当の趣味はミクシィに投稿して、だれも見ない、見れない状態も案外楽しいのかもしれない。そもそも、趣味なんて人にひけらかすものでもないし。
自分が歩んできた道なのに、もしもの人生を見て想像してるような錯覚に陥る面白さはあった。なんとも、過去を後悔し続け夢を見るのは今が満たされてないのか、理想が高いのか、たぶん精神年齢が幼過ぎるのだろうと思う。今でも幼い。
人の命は短い、100年も生きれないのがほとんどで、死んだ後のその人の遺品は、当人が思う価値では扱われない。価値の無いデータだけはインターネットのどこかのサーバーやアーカイブに残ってれば残るのが、なんだか面白い。
現実のものは所有しても最後は失うと思うと、なんだか物欲もなくなり断捨離できるのかもしれない。現実は身軽な方がいいと思える。価値のあるものなんて何もないのだろう。
ああ、腹が減った。
