これを書き始めるまで無駄な体力ばかりつかった。

会員登録だけで手間取って、さっきまで思ってたこととかみんなどっかにいってしまった。ゆっくり思い出しながら書いてくとする。

俺は文章を書くとき、段落わけや読み手のことを考えあれやこれやと変えたりするようにしてるが、今回は思ってることをつらつらと書き出したいだけなのでそういうことは考えない。かなり読みずらいかもしれない。まぁ数人しか読まないだろうからそこまで考えるのも大袈裟か。

今はセンター試験一週間前をきった時期だ。世の受験生はラストスパートをかけて頑張る時期だろうか。いまこのブログを書いてる途中にエラーがおきて再読み込みするはめになったが、技術はすごいな全部復元された。話を戻すと今はそんな時期なんだが、俺は全く持って真面目にやれていない。理由はわからない。頭がうまく動かない。体は重い。そういえば受験勉強のおかげで筋肉が減ったなぁ。体重も増えたが、それは自分のせいなので受験のせいにするのはかわいそうだ。この病にかかり始めたのはいつ頃だろうか。あまりおぼえていない。12月の最初のころだろうか。魔の一週間とか読んでた時期か。11月は塾にはいっていなかったが勉強はしていた気がするし。なんでだろうか。まぁただの怠惰ではあるのだけど、たまに図書館にいっても体が動かないときがある。それはなぜだろうか。図書館にいくとなぜか帰るときいろいろなものを達観することができる。理由など知らない。思えばわからないことだらけじゃないか。でもわからないものをすべて受け止めてた。いや何も考えていなかったから勝手に吸収されていったのか?さぁね。答えなんかでたって大したことない。大学生になったらなにしようかとかんがえている。そこだけ一丁前の受験生らしいな。そこだけ振り返って見ると自分がかわいくおもえる。将来に希望をもった青年といったかんじだな。ここまで書いてかなり気分が楽だ。いやそれは言い過ぎ。楽じゃない。回転が早まっているのか?まぁそんな感じだ。この受験生としての一年間はなぜか楽だった。へんなことに気を揉まなかったからだろう。世間体を気にするななんていってじぶんが一番きにしたみたいだ。くだらない。でも人間くさくていいと思う。若いうちにミスをしておけ。そんなとこ。何も考えずに遠くにいくいや別に遠くないか。歩くことはいいのか。悪くはない。生物的な自分の体が喜んでいるのをみて精神的な自分がそれに合わせて愛想笑いしてるみたいな感じ?精神的といえばあれだ最近特に思うのが

体や本能部分が一番感情をもっていることだな。理性とやらは冷淡なのに身体だけは人間くさくうごいてる。それを理性がみて、ああそうだよなそうだったと言ってるようなかんじ。いまこれをかいているのは理性だからそれにたいする具体的な言動は避けたいと思う。この文章は多分読み返さない。いや将来物書きにでもなればみるかもしれない。

芥川龍之すけの晩年の本もこんな感じなんだろうな。わからないけど。適当いった。

なかにある邪悪なもにというか汚れをここにだしてもすぐよごれてしまって、余韻にひたることがながくできない。いま恐怖心はないけれどかつての自分は少し遠いところにいる。それはまえかうしろかなんて知るわけないだろ。いつも幻覚ばっか見てる。夢幻。現実とのギャップでのたまい苦しむのはそう先の頃ではないのかもしれないけど、まだまだ夢ごごち。幸せじゃないか。たまに幸せについて考えるけど、一度伸びきったものはもうもどらないんだよね。あとで読み返したときのヒントを残しておこう。ジョンシュチュアートミルだ。オムライスとでも書いとけばいいか。偉そうな顔して隣の席のやつの日直日誌のメモなんか説教できないぞ。いいんだこれはかいてるだけ。読んでもらう気はさらさらない。おいおい一体何人いるんだ。二人か。だいたいふたりの掛け合い漫才。オチはない。学問や文豪は最期はそれ自身に飲み込まれてしまう。俺もそうなのか。今までいやおやそんな。俺は…なんていってたけどその節はある。なかったとしてもそれを理解している。自分が非難しているそれ自身にならないようにするために保身していたら何もいえないかかし同然になっていた。悲しいのか?いやべつに。それは仕方がないと思うし、それを用いてお前は非難するだろ。そうかもしれない。ダブスタはやっぱよくないよね。

このへんにしとくかだんだん溢れ無くなってきて、しょんべんしたあとペニスをふってるみたいなかんじになってる。やめとくか。最後にメモしとこ奥沢の図書館をみつけた。

あとなんだっけ。あぁこのブログをかくために費やした時間と労力は無駄じゃんかったと伝えておいてほしい。ここまで読んだ人がいるならすごいジュースでも奢ってやろう。