あれこれと考える。
インドとの出会いについて。
7年前にインドへ訪れてからは、何度も訪れ、
そのたびに大好きになり、
また足を運びたいと恋焦がれる。
よく友達に
「インドはさぞかし危険で汚いだろうに、怖くなかったの?」と聞かれる。
でも不思議と’怖さ’は感じていなかったように思う。
初めてインドへいった時、とても緊張をした。
海外旅行も初めてだったし、一人旅も初めてだったからだ。
乗り継ぎのときも標識が分からず、英語もよくわからない。
手持ちぶさたな気持ちを隠すために、
飛行機へ乗り込むまでずっとベンチに座っていた。
そんな旅慣れていない私が出会ったのは、
砂埃、蒸し暑い空気、慣れない異様なスパイスの香りと
ギョロリとした目をした人たちだった。
どうやってホテル行きのバスに乗ったのか、
ホテルはどこだったのか、
インドでの初めの数日はどうだったかなどは全く覚えていない。
ただ、初めて降り立ったインドの地を味わうことなく
ひたすら歩いて乗り込んだバスの中で、
まだ現実とは思えない風景を汚れだらけの窓ガラスから
ぼーっと眺めていたことだけをハッキリ覚えている。
デリー、ヴァラナシ、コルカタと回って10日位いただろうか。
ヴァラナシには一番長く滞在したが、
着いた瞬間不思議なことが起こった。
初めてきた場所だったのに、懐かしくてホロリと涙がでたのだ。
人々の体を清め、洗濯物をキレイ(?)にし、
死体や糞尿を流し、人々に祈られるガンガーをみて
いわゆる’人生観が変わる’という体験はなかった。
とても自然なことに思えたからだ。
ただ、涙がでたことに驚きを隠せなかった。
インドにいるときの私をみたある日本人の方がこう言った。
「初めてじゃないみたいに、リラックスしてるね。そして強く見える」と。
私は弱かった。
いいや、弱いと思い込んでいた。
生まれたからずっと日本にいて大阪を離れたことがなかったし、
大学生で時間もあり余る程あったのに、
旅行もあまりしたことがなかった。
一人では何もできないと思い込んでいた。
もともと感受性が強くて、
それをうまくコントロールできない自分が嫌いだった。
感受性に任せて泣いて笑って、
それを受け止めてくれる人を常に求めていた。
家族、友達、恋人・・・。
失うのが怖くて泣いたり、
愛されていたにもかかわらず満たされない気持ちを常にもっていた。
完璧が何なのかわからなかったけど、完璧じゃないと嫌だった。
そして、なぜか過度に緊張していた。
インドはそんな私の肩の力を一瞬で抜いてくれたのだ。
『No Problem!』と。
弱さを隠そうとして緊張していたり、
完璧を求めて色々なことにこだわっていたときより
なんでも受け止めて、問題ないねっていっている方が
なぜか強くなっていた。
そして何より楽しかった!
『No Problem!』は、スーッと私の腹に落ちたのと同時に、
その精神が私には必要不可欠だったのだ。
インドはいつも肩の力を抜きなさいと教えてくれ、
そして忘れてもまた思い出させてくれる場所。
訪れる度に好きになり、
もっと知りたくなり、
いつも予想外の驚きをくれる。
ああ、またインドへ行きたいな。
インドと出会えてよかった。
しみじみ思う今日この頃。
