怒濤の2月が過ぎて行きました。
すべて、個人的なことです。
ほとんどが、愚痴のような、ひとりごとであり
日記です。
個人のブログですから、ご容赦くださいませ。
前記事は、四大陸選手権のテレビ観戦の事など書きながら、途中で終わっています。
あのあと、お正月あけから入院していた義父の容態が急変し
亡くなりました。
病院に駆けつけましたが、臨終が告げられた直後でした。
前の日も様子を見に病院に行き、いつもと同じ(チューブで鼻から栄養を入れている状態で意識は無いような、時々手足をピクッとさせるような、状態だった、この状態が約1ヶ月続いていた)だったので、この状態はしばらく続くだろうと思っていました。
元旦には、子供たちと夫の実家に行き、
皆でおせちを食べました。
成人した孫が揃って来てくれたことを
とても喜んでいたようで…。
こんなに身近な人が亡くなるということが、自分にとっては二十年前の祖母以来なので、
今回は夫が喪主なので、
実際自分たちが通夜葬式を執り行うという立場ははじめてなので
義父が亡くなった、という哀しみにひたる間はまったくなく、忙殺された3日間でした。
今でも実家の
いつもの椅子に義父が座って、大好きな日本酒をチビチビのんでるような、気がしています。
仕事は2日間休みました。
休み明け仕事に行くと容赦なく
元々遅れぎみだった仕事は山積み
さらに予想外の出来事や
新たな仕事が湧いて出てくる
今の職場は一年目なので、まだ全体像が見えていない
連日、事務所では最後の一人となり
戸締りして帰る毎日
もちろん普段からもっと忙しく、毎日帰りが遅い人もたくさんいると思う。
自分はしばらくそういう状況になかったからか
耐性ができていなかった
体調も悪かった
これまでも貧血に悩まされてきたが
ますますひどくなってきた感があり
なかなか行けないこともあり遠方の病院から近くのわりと評判のよいところに変えて
久し振りに診てもらうと、貧血はひどくなっていた。
私が言わなくても、検査結果から
月経のとき恐ろしいほど出血するでしょう?
日常生活に支障が出てるでしょう
と言われた。
2013年に子宮筋腫を小さくする手術を受けた。
退院、職場復帰が早いという理由からその手術を受けたが、
その効果はすぐになくなり
元通り、それ以上の出血になって行った。
2月、平昌オリンピックから一年
そのメモリアルにツイッター等でも賑わっていたが
私も自分の平昌オリンピック
フィギュアスケート男子シングル観戦を
思い出していた。
あの日も、大量出血していた
平昌の想い出を語るのに
自分の月経の話などして恐縮ですが
自分の想い出として切り離せない事柄で
気分を害する方がいらっしゃいましたら
申し訳ありません
不思議と、スケート観戦、遠征に
期間がぶつかってしまってました。
平昌の時は一番タイミング的にツラいパターンで、男子ショートの前日の夜に、始まった
とわかったときは暗たんたる気持ちになりました。
私にとっては一生に一度、と思われるオリンピック観戦
平昌オリンピックに行く!と四年前に決意し
ついに迎えたその日に
大袈裟な…と思われるかも知れません
一番ひどい時は一時間に一回はトイレに行かないといけない。
もちろん長時間対応のあの生理用品を使い、他の生理用品も重ねて使用して、の状態です。
オリンピックだし、男子ショート、全員をすべて見たかったのですが、仕方なく何人かはリアルタイムに見れませんでした。
しかしなんとしても、大本命の選手のグループは6練始まる前から最後まで余すところなく見届けたい、そのために来たので
何とか集中するよう自分に言い聞かせ
素晴らしい演技にはスタオベしたかったけど
立ち上がるとどっと出るのでがまんし
しかしもちろん、大本命の選手が素晴らしい完璧なショートを演じたあとには
しっかりスタオベしました。
ショートの夜は同じツアーのゆづファンの方々とまずはショートのお祝いをしました。
しかしまだフリーがあると思うと、押さえぎみでした。
フリーの日は
前日よりは少しましになったけど、
普通よりはまだずっとひどい状態
しかも試合のあとはメダルセレモニーもあるので長丁場。
寒さ対策もあわせて、モコモコに着ぶくれした状態で出発。
彼がメダルセレモニーの場にいることは
決定事項のように思っていました。
フリーの日は
大本命の選手は6練でなかなかジャンプがきれいに決まらなかったけど
あまり不安は感じませんでした。
むしろ練習で絶好調のほうが不安になるというか……
本番は
練習とはうってかわって素晴らしいジャンプが続き、しかし少し後半に少しだけ揺らいできた時の、そこからがやはり彼は強かった。
何回も書いてると思うけどやはり
最後のあのルッツは
スローモーションのように
ゆっくりと、自分の脳裏に焼き付いています。
そこからの最後のステップ。
一生忘れません。
その一生忘れない想い出と共にある
私の過多月経
今年2月の受診、検査結果で
やっと手術をする決断をしました。
手術をするのはもうちょっと先ですが
今年の2月17日は
金メダル記念日、
この日、西宮であった
写真家田中さんの講座には何とか参加することができました。
義父の葬儀後、山積みの仕事もあり大変な時期でしたが、
この日は何とかして行きたかった。
講座は大変盛り上がり
その後、ゆづ友さんたちと映像を見ながら
平昌やパレードを振り返る
メモリアルな日になりました。
ここでたくさん、元気をもらいました。
この日も一番出血がひどい日になりました。
ここまで再現しなくても…と思いながら…。
個人的に、怒濤の2月でした。
仕事もまだ落ち着いた訳ではないですが、
3月は、
すべてがひとつの完成を迎えて
素晴らしい希望に満ちた日々でありますように