今日、明日はお休みで、久しぶりに時間が取れるので、ちょっと前から書いておきたかったことを書こうと思います。
今更な感はありますが、自分の気持ちの記録として書いておきたいな、と。
5月14日の「フィギュアスケートTV」の
羽生選手の世界選手権2016男子フリーの翌日の
インタビューのノーカット放送、の感想です。
「完成形をあまりにも追い求め過ぎていて、」
「完璧を目指さなくてはならない」
「できたものを追いかけてるような実感が」
「今回もそれ以上を求める」
「過去にとらわれている状態があった」
「緊張の質が違う」
「今から一番いいものを発揮しようとする緊張感ではなくて
前にもうすでにやった完璧というものを超さなくてはならないっていうような、たぶん緊張の質
があったからこそかな、というふうに思いました。」
すでにやった自分の完璧を超えなければならない、という感覚に陥っていた…
これまで結弦くんは「完璧」や「ノーミスしたい」と思ってしまった時は、納得のいかない演技になることが多かった。
逆に開きなおり、「ミスしたって、転んだっていい」と思ったり、「ひとつひとつやっていくんだ」と思っていた時は、結果としていい演技になっていた。そんなメソッドはもう充分承知している上で、
やはり頭で理解していることと、心が思ってしまうことは、そう簡単には一致できないんだろうな…と思いながら、彼の言葉を聞きました。
さらに、特に気になったくだりは
「ハビエル選手のショートで4回転2回という進化については、自分がクリケットクラブにいない中でそういうことがおこなわれていて、そういうふうに進化していってたので、
なんかすごく、その、その時はチームメイトとしてではなくて、リンクメイトとしてでもなくて、普通にライバルだな、って、ほんとにこわい存在だなって、思えてた自分がいたんですね、今シーズン。だからこそ今回負けたことって非常に悔しいし、たぶん去年よりも、昨年と同じだなって、昨年と同じような心境で、自分がショートで1位になってて、フリーでよくなくて自滅して、ハビエル選手の素晴らしい演技を見ながら、今年も負けるんだな…っていうふうには思ってはいましたけれども、なんか悔しさっていうものが全然違ってて、もちろん自分に対する悔しさっていうのもありましたけど、ハビエル選手という選手が、もっと親近感が湧いたとともに、リンクメイトとして、さらにライバルとしてすごく見れるようになったな、という気がしました。」
ハビエルがすごく変わったなと思ったと。
これを聞いた時、ふたつのことが気になりました。
結弦くんは、ハビエルのことを、今シーズン後半のハビエルの進化を見るまでは、ライバルとは言いながらも、本当のライバルとは思っていなかったということかな…と。
そしてファンと言わせてもらってる私も、本当に怖いライバルとはまだ思っていなくて、まだ、完璧な時のパトリックとかが怖いと思っていたから、世界選手権のフリーを見ながら、本当に怖いのはハビエルだった…とやっと気づいたんだけど。
もうひとつは、
結弦くんの発言で、「ハビエルのショートで4回転2回という進化は、自分がクリケットクラブにいない中でそういうことがおこなわれていて」
というところ。
これを聞いて、今まで競いあうライバルが同じクラブにいるということは、良いモチベーションになっていいことだ、と彼ら二人とも言うし、コーチもそういうし、自分も素人ながらそうだろうと思っていたのですが、
「自分がクリケットクラブにいない中でそういうことがおこなわれていて」
というくだりに、何かざわざわしてしまって
結弦くんは、そこにいて大丈夫なんだろうか…と、つい思ってしまったんです。
それで、そのテレビを見ていた時、近くにいた旦那さんに、聞いてしまったんです。どう思うか、と。
私は時々、結弦くんに対してファンでもアンチでもない、フラットな存在として、一番身近にいる旦那さんに聞いてしまうことがあります。
「どうでもいい」という返事が返ってくるかと思っていたら、彼はすごい勢いで語り出しました。
「ハビエルが構成変えること、いちいちゆづにことわり言う必要ないやん。
きみはなんか勘違いしてるようやけど、ゆづが負けたのは、ハビエルの演技の構成が変わったからではないやろ。ハビエルがどんな演技をしようとも、ゆづが本来の自分の演技(ノーミスという意味ではない)をしていたら勝ってたやろ。緊張の理由はなんや。計り知れないプレッシャーやろ。完璧でなければいけない。ノーミスしなければいけない。マスコミやきみら(ファン)が騒ぎすぎなんや。今シーズン見てもゆづはスケートとは関係のない仕事に振り回されてたやろ。集中できる環境じゃ、全然なかったやろ。そこがハビエルとの違いやろ。」
ハビエルも世界王者になって、本国でも注目され、いろいろイベントもあったと思うけど、たぶん結弦くんの比ではないんだろうな…
ファンが騒ぎすぎ、と言われたので、「応援しないほうがいいのか」と聞いてみたところ
「試合の時は応援すればいい。その前とか普段、わあわあ言わないこと。」と
こうやってブログとか書いてることが、わあわあ言ってることになるのかもしれないけど。
とにかく、反論の言葉がなかった。
まあしかし、旦那さんの言ってることは、私よりもずっと、結弦くんをアスリートとして見ているからこその言葉ばかりだし。
では私は結弦くんをアスリートとして見てないんだろうか。
普段から、アスリートである彼を応援したい、とか言いながら、実際には彼の可愛らしさやかっこよさや美しさに夢中になって、情報を遅れながらも追いかけている。
彼のスケートの技術と彼の美しい容姿。
彼がもし、あの容姿でなかったら?と考えてみることは何度かあったが、それはいつも考えても仕方ないことだと思って行きつくのは、
彼はあの美しいジャンプと美しいスケートの技術と、あの美しい容姿を持ってすでに存在しているのだから、もうそれらを分けて考えることができないということ。
つまり、丸ごと好きなんだから仕方ないということ。
ただ忘れてはいけないのは
先日の「おしゃれイズム」でちらっと出てきたこやぶさんも、さらっとおっしゃってたように
彼は「日本の宝」だということ。
もちろん彼だけでなく、日本代表選手、代表だけでなくいろいろな選手、選手だけでなくいろいろな人、
みんな大切な「人」として、大事にされなければならないということ。
そのためにある程度「そっとしておく」ことが本当に大事なんだなと、
「情熱大陸」でも結弦くん本人が
「孤独にさせてもらいたい、むしろ」と言っていたように、
彼を「そっとしておく」ことこそが大事なんだなと、あらためて思ったのが
「フィギュアスケートTV」の
羽生選手世界選手権2016の男子フリー翌日のインタビュー(ノーカット)を見た感想でした。
そして、そっとした後は
彼が「~しなければならない」から解き放たれて
彼が本当にしたい演技を
「情熱大陸」のラストでも結弦くんが語っていたように
「結果どうのこうのじゃなくて、自分の理想、自分がしたいこと、自分のスケートをもっと高めたいなと思っています。」
「自分の中でもスケートというものを心から楽しめたら、と思います。」
彼が自分の本当にしたい演技を、スケートを心から楽しんでる彼の姿を見せてもらえたら
それが何よりも一番嬉しいことだと思って
私は私の持ち場で、日々を懸命に過ごしていこうと、
また「情熱大陸」を見返して、そう思いました。
こんなふうに
多くの人の日々の心の支えになっているだろう彼は、やはり「日本の宝」だと思いました。