帝王学

帝王学

- THE ART OF KINGCRAFT -

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────【 超 訳 】────
(末尾に『書き下し文』あり)

──昔、鄭という国の武公が、
胡という国を手中におさめたいと考えていた。
そこで武公は自分の娘を用いて政略結婚させ、

胡の国の君主を喜ばせた。



胡の国と政略的な友好関係を築いた後、
鄭の武公は臣下を集め、皆に意見を求めた。



「わしは打って出ようと思う。
まずはどこの国を攻めるべきだろうか」



大夫の関其思(かんきし)という者がそれに答えた。
「胡の国を攻めましょう」



それを聞いた武公は怒り、こう言った。
「胡の国は兄弟国だぞ、それを攻めるとは何事か!」
そして関其思は殺されてしまった。



胡の国の君主はこれを伝え聞き、
鄭の国はわが国を親愛していると思い込んだ。



そのこともあって胡の国は鄭の国に対し、
より一層信用し、警戒心を更に弱めた。



その様子は鄭の国にも伝わり、
それを知った鄭の武公は、
「これはチャンスだ」とようやく気づき、
胡の国を襲って占領した。



──昔、宋という国に金持ちがいた。



あるとき大雨が降り、
その金持ちの家の土塀が崩れた。
その金持ちの家の息子はこう言った。
「早く土塀を直さないと、泥棒に入られてしまう」



隣に住んでいた老人も
土塀が崩れるのを見て、同じことを言った。
「早く土塀を直さないと、泥棒に入られてしまう」



その夜のこと。
やはり泥棒が入ってきて財産をごっそり盗まれた。



金持ちはこう言った。
「うちの息子はやはり賢かった」と。



金持ちはまた、こうも言った。
「犯人は隣に住む老人ではないか」と。



関其思といい、この老人といい、
言っていることは正しく、まっとうであるのだが、
一人は殺され、一人は濡れ衣を着せられた。



つまりこれは、
すぐれた知恵や知識というものは、
たくさん学んで身につけているということよりも、



それらの「使い方」や「出し方」を心得ている方が
よっぽど重要だということを意味している。



──昔、秦の国にも繞朝(じょうちょう)という人物がおり、
彼も同じように秦の国に対して
正しく、まっとうなことを進言した。



その素晴らしい進言は晋の国にも伝わり、
晋の国では繞朝は「聖人」として崇められたにも関わらず、
秦の国ではその進言のせいで死刑となった。



説者はこれらのポイントを、
よくよく見極めておかなければならない。



 昔者鄭の武公胡を伐たんと欲す。故に先ず其の女を以って胡君に妻せ、以って其の意を娯ましむ。因りて群臣に問う、「吾兵を用いんと欲す、誰か伐つ可き者ぞ」と。大夫関其思対えて曰く、「胡伐つ可し」と。武公怒りて之を戮す、曰く、「胡は、兄弟の国なり、子之を伐てと言うは何ぞや」と。胡君之を聞き、鄭を以って己に親しむと為し、遂に鄭に備えず。鄭人胡を襲い、之を取れり。

 宋に富人有り。天雨ふりて牆破る。其の子曰く、「築かずんば、必ず将に盗有らんとす」と。其の隣人の父も亦た云う。暮にして果たして大いに其の財を亡う。其の家甚だ其の子を智として、而うして隣人の父を疑えり。

 此の二人は、説皆当たれり。厚き者は戮せられ、薄き者は疑わる。則ち知ることの難きに非ざるなり、知に処すること則ち難きなり。故に繞朝の言当たれり。其れ晋に聖人とせられて、秦に戮せらる。此れ察せざる可からず。