この年末年始、気づけば
「明るい年」
という言葉をよく使っていた。
明るい年の始まりの年。
明るい部屋 / OTOGI(まいぺん)
https://www.tiktok.com/@kon3_dayo/video/7183961514922085634
この年末年始、気づけば
「明るい年」
という言葉をよく使っていた。
明るい年の始まりの年。
明るい部屋 / OTOGI(まいぺん)
https://www.tiktok.com/@kon3_dayo/video/7183961514922085634
何かを「信じる」とき、
そこに根拠(理由)があるとなんかちょっといやらしく感じる(笑)
「信じる」は「手放す」。
根拠のような握りしめているものを手放す
というニュアンスも感じる。
「自分を信じる」
ということにも、だから信じる根拠は必要ない。
「自信」とは、「自分」を手放すことかもしれない。
(いいことを言った気がする笑)
始まりがあるから終わりがある。
始まりと終わりは閉じていて、閉じたその中には何かが生まれる。
何かには『物語』があり、物語とは「意味」だ。
始まりがなければ終わりもないが、そこには意味がない。
意味のないものは『遊び』だ。
『始まりと終わり』
という閉じた世界(檻)が生んだ≪人≫は意味のないものに価値を認めないが、
本当は焦がれている。