2016年11月からの介護日記を綴っています。

実母(75)が心原性脳塞栓症で後遺症が残る。
義母(73)はその1ヶ月後から目まぐるしい入退院。
実父(82)は一人暮らしになった実話。

ずっと記録しているスケジュール帳をもとに
ここに"きろく"していきます。
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母が亡くなった。。。。





何度も危ない時はあったけど
今度こそは力つきたね。



この日が来てしまった

そんな感じに苛まれていた。





一旦、母の病室から出て
父を廊下のソファーに座らせた。


「大丈夫?」
と、父に声をかけてみた。




何も言わなかったが
きっとぽっかりと穴があいた感じだろう。









私は窓の外を見ながら
寺の住職や葬儀社に電話をかけた。






しばらくすると
看護師さんから呼ばれて病室に入った。




母の身体からは
モニター装置だったり
尿の袋だったり
いろんなものが片付けられていた。




本当に眠っているかのよう。









葬儀社からお迎えが来られた。





準備をしていただき
私達は看護師さんから
母の荷物を受け取った。










そして病室から出る。





ナースステーションにおられる
看護師さん達に頭を下げる。








エスカレーターを降りて
いつもの玄関ではなく



いつか見たことのある廊下へと案内される。





それは以前
他の患者さんが亡くなられて
病院から出る時に
通って行かれたあの廊下の風景。




私はハッとした。




あぁ、今度は私たちが通るってことは
これで本当に亡くなってしまったんだ。

だからこの道を通るんだ、、、



そう思ったのを覚えている。





その廊下を通る時
いつも正面玄関前におられる
受付の2人のお姉さんが
出迎えてくださった。




私と父と主人で頭を下げた。
父は "ありがとうございました"と。





その廊下を通ると
まだまだ通ることがないと思っていたからか
知らず知らずと
涙が出てきて止まらなくなった。






この廊下を
私達が通っている。。。





現実だ。








そして外に出ると
本当に気持ちの良い快晴。




主治医、看護師さん数名
最後のお別れに待っておられた。




主治医は父のことを気にかけて下さり
父の肩に手を添えて






「お身体を大切に。」







そう言って下さった。





母は搬送車に乗せられ
父もその車に乗った。







私は深く感謝を込めて
お礼を言い
その場を後にした。