ひねくれ傷つくために産まれたわけじゃないし、裏切られるために生きているわけじゃない生きてる年数を重ねるごとに人を信じることも自分を信じることも無条件ですることは難しくなっていく頭で考えて判断して信じるかどうかを決めるから判断の対象にはモヤがかかって実際はどうなのかわからないこれで良いのかな、って毎回思うけど臆病な私にはそれ以外道が無いように感じる何のために産まれてきたの?何のために生きているの?その問いがなくなるのはきっと無条件の自分への愛に気付いた時だろうね