あけましておめでとうございます。年をまたいでしまいました。
あと少し、このブログにお付き合いください。

で、前回のブログで何を言いたかったかというと、自分の感性とか感覚ってのは別に親が毒親云々とか関係なく、もっと別の次元で何かどっかおかしいんじゃないかなー、と思ったりするわけです。
おかしい、というか、少なくても一般的ではないかな、と。
そしてそれは私自身が望んだことでもある、ということ。

最近、「ちひろさん」という漫画を読みました。自由に生きる風俗嬢・ちひろの物語「ちひろ」の続編です。
彼女の物語を読んでいると、菜摘ひかるさんを思い出します。
そしておこがましくも、自分との近さをも感じます。

世の中に、「一般的である認識」というものというのはある程度存在すると思います。
例えばそれは、履歴書にソープでの経験を書けない、ことの理由。
その本人がソープでの経験をどれだけプラスにとらえていても、社会的にはアウト、というか。
そういう感覚を、例えそれが自分の意志に反しているとしても、ある程度持っていないとこの世の中はとても生きづらい。

私は大学を卒業して以降、正社員になった経験は一度もありません。
でも、職業というものを考えた時、かなり長い間、「履歴書に書ける職種」というのは、
あくまで風俗の仕事のアリバイでしかない、私にとっては風俗の仕事を成り立たせるためだけの
仮の仕事という意味合いのほうが強かったのです。
販売も営業もコールセンターも、どれもこれも正直全然出来なかった。
唯一やりがいとか、やっていて楽しいと心底思えた仕事が、風俗だった。
でもそれはたまたま私が風俗という職業に対して、少なくとも不向きではなかった、
ただそれだけかなとも思います。めっちゃ人気のある嬢でもなかったし。

自分の存在価値を唯一確かめられる仕事が風俗だった。
その感覚を超える仕事というのには未だに巡りあっていない。
だから、風俗は良くないものであるという常に存在する一般論に”もにょる”わけです。

風俗で働いてた頃に知り合った唯一の友達が、今比較的近くに住んでいます。
彼女は旦那に風俗で働いていたことを秘密にしているし、その過去をむしろなかったことにしたいみたい。
それは多分、すごく普通の感覚だと思う、でも私はそこに少しの寂しさを感じる。
私は、後ろめたいことは何もなくて、自分から望んで風俗のお仕事をやっていた。
こういうのを誇りというのだろうか。わからない。
あの頃の自分を、自分の欲に正直だった頃の自分を、私は絶対に否定しない。
否定なんて出来ない。

あの自分があったから、今の自分がいる。
それは間違いないと思う。


恐ろしく放置してしまって…果たして読んでくれる人がいるのだろうか。
申し訳ございません。
文字通り、忙殺されていました。

2014年も終わりに近づき、大阪を離れて数年経ってしまった今。
ストレスがたまると、つい飛田に思いを馳せてしまうほどに、あの街への感情を捨てられない。
いやまあ、捨てなくていいのですが。

さて。
表ブログで書けないことをつらつらと、少し綴りたいと思います。

最近はテレビ番組などでも、毒親について特集が組まれたりすることがあったようで。
そういうのは全然見ていないのですが、その手のイベントに今年はいくつか参加しました。
そこで自分と同じような境遇にいる人たちがいることを知って、幾分孤独が薄らいだような感じがしたり。

まあでも、毒親持ちといっても基本的には多分みんな、一般的な人生計画の中で生きているというか。
大学出て、就職して、結婚して、出産して、みたいな、ごくごく普通のルート。
私、まずそういうルートを望むということが出来ませんでした。

中学から高校に進学するときに、どうも私は自分の望む進路を歩めないらしいと悟り、
何かわかんないけど大学受験をせざるを得ない状況になり、自分の能力からすれば相当無理をして
一年浪人してどうにか進学して一人暮らし出来るようになったのですけれども。

それよりずっと前、多分小学生か中学生かの頃に、何で知ったかもう思い出せないけど、
何かで女性の妊娠や出産の仕組みを知るじゃないですか。
で、つわりとかあるらしいじゃないですか。更に出産の時の激痛。
ドン引きですわ、もうこれで。

私は小さい頃、車酔いでよく吐いていました。それ以降、どうも嘔吐恐怖症っぽいんです。
今も電車の中とかで吐きそうな人を見かけると、その雰囲気で自分も気持ち悪くなってくるレベル。
それで、つわりの存在を知った時に、子どもを持つ・出産するということのハードルがもう
果てしなく高くなってしまったんですわ。
で、結婚と子どもって一般的な考えからすれば、まあ自然にいけばつながるわけで。
私は妊娠や出産がもう怖くて怖くて、多分そこから「妊娠しなきゃいけないんだったら、結婚とかいいや」
という思考に何となく無意識のレベルでつながってしまったんじゃないかなと思います。

今に至るまで、とりわけ積極的に「結婚したくない」と強く思ったことはないけれども、
「妊娠出産しなきゃいけないんだったら結婚はちょっと不安」という思考は少なからずありました。
でも、周りでそういう声って全然聞かない。「子ども欲しい」という声は聞いても、「つわりや出産が怖いから子どもを産むのは不安」なんて一度も聞いたことがないんです。
その辺は別に親がどうこうってことは関係ないのですけどね。

だから結婚をした人や子どもを産んだ人たちがとても遠くに感じる。
そうなったのは、別に自分が特殊な仕事をしていたことと多少は関係もあるかも知れない。
風俗という仕事をすることを選ぶことで、それまでの友人・知人関係とのつながりを絶つことを
そこまで深刻にさえ思っていなかった。

人としてちょっとどこかおかしい部分があるのかも知れないです。
何でそこまで、「一般的なルートから外れる」ことに執着したのか。
根本的な考え方が変なんだろうな、と思います。

(続く)

お久しぶりすぎる更新ですみません。1年以上放置しましたよね…?
しばらく仕事で忙しくしていました。風俗の仕事から離れて淋しい限りですw

さて、以前に触れたかどうか忘れちゃいましたけれども、いわゆる不倫をしていた
そんな時代が僕にもありました。
当時の心境としては「もう人生どうにでもなれ」ぐらいの勢いで、将来や未来に
希望をなくしきっていたからこそ出来たんじゃないか。と振り返っても感じます。
どこまでも自虐行為。血を流さないリストカット。
そこに希望を見出そうとすると自我が保てなくなって破綻する。何ともわかりやすいです。

最近、毒親のことをものすごく考えるようになって、漫画家の田房さんの講演会なんかも
出ていろいろ考えるわけですが、風俗勤めも親へのあてつけと考えるのが自然な気がします。
愛されていないのではないかという不安を、偽物の愛とはいえ解消できる、更にお金までもらえる。
未だにこのシステムの素晴らしさはうっとりしてしまいます。
それぐらい淋しくて孤独だった。

親の問題は深く私の中に根付いていて、事あるごとに未だに苦しい思いをします。
人生投げ捨てかけて刹那的に生きていても、相手の家族のこと、特にお子さんのことを
思えば「甘えてはいけない」という考えに変わっていきました。
そのご夫婦はおよそ一般的な恋愛観ではなかなか珍しいというかなんというか、お互いの
自由恋愛を許すというご夫婦だったので、奥さんにも恋人がいました。
また、お子さんも両親と共通の趣味を持っていて、(私の中で)近年まれに見る幸せな家庭でした。

「親に愛されている人間の幸福を親に愛されていない人間が脅かすのは良くない」

この信念により、私はこれ以上関係を続けるのは私が無理だ、と判断したのでした。

正確には私は多分親に愛されていないわけではないのかも知れないけど、
あまりにも親が自分(親自身)のことしか考えていないように思えて、未だに苦しい。
この苦しみは多分一生続くと思うけど、自分の経験のために他人に悪い影響を与えるのだけは
避けなくてはいけない。

時間が経って、こんなふうに俯瞰してみることができるようになりました。

飛田の話もまた、書きたいと思います。

★ブログを新しく始めています。
「misolabo」―風俗とは全く関係ない、今の私のアレコレを綴っています。
良かったら覗いてみてください。
misolabo.hatenablog.com