こんばんは、今日はお友達と久しぶりにお茶をして楽しい一日を過ごせたみどりです😊突然のお誘いだったのですが、たまたまラクマの発想でコンビニに行っていた時だったのでそのまま外出できました!
お友達も精神疾患持ちなのですが、波はありつつもA型の就労継続支援で週4で働いていてすごいんです‼️
他のB型などの施設の情報を教えて頂いて、なんだかすごく働きたくなりました‼️
まあまだまだ先の話ですが、とりあえず明日の通院で主治医にデイケアに復帰したい旨を相談しようと思ってます。
昨日のNHKスペシャル枠のドラマ「こもりびと」観ました。
氷河期世代の40歳のひきこもり男性とその父親で癌で余命幾ばくもない父親との、実際にあった事例を元に作られたドラマでした。
まずひきこもりが私もほぼ同じ状態なので気になって観始めたのですが、どんどん引き込まれて夢中になって観てました。
父親は突然ガンのステージ4と診断され、残されるひきこもりの息子をなんとか立ち直らせようと行動に出ます。
ひきこもりの主人公の父親は就活中の女の子のお孫さんがいるのですが、この子がとてもいい子で、ひきこもりの主人公にドア越しに声をかけてあげたり、どうにかして主人公を助けたいと祖父と協力してひきこもり支援の窓口や保健所に回ったり、とにかくいい子でした。
主人公が部屋を留守にしている間に2人で忍び込んでパソコンを見て主人公がツイッターをやっている事を知り、祖父にツイッターの使い方を教え、身分を偽り主人公にツイッター越しに接触をはかる父親。
主人公が好きなミュージシャンのCDを聴き、少しでも理解しようとします。
ひきこもりの家族を持つ家族会に参加したり、ひきこもり当事者からどんな言葉をかけられたら嬉しいかと質問したりかなり努力して息子を助けようとします。
しかし以前の父親はかなり酷い厳しい父親で、氷河期世代で非正規でキツイ環境でもめげずに働く息子を馬鹿にしたり、仕事を辞め母親の介護を真面目にしているのに、介護に逃げるななどと罵ったり、正直この父親のせいでひきこもりになったとしか考えられないほどの酷い親だなと思いました。
最終的に鬱になり朝も起きられなくなった主人公を無理矢理起こそうとしたり同時に結婚も仕事もできないなどと罵ったり、観ているのが辛くなるほどの酷い父親でした。
主人公のツイッター名はカチナシオなのですが、それは以前父親にお前は価値のない人間だ‼️と言われたところから取ったのだと推測されます。
そんな酷い父親から変わり、息子を理解しようと努力する父親ですが、ある日スマホを家に忘れてしまいツイッターで交流しているのが主人公にバレてしまいます。
それを知った主人公は橋の上から身を投げるとツイートします。
必死の思いで駆けつける父親と孫娘。
父親はなんとか引き止めようとします。
そこで主人公が自分が何を思い今まで生きてきたか、父親に吐露します。
「そんなに生きる価値のない人間ですか」と父親に問いかけました。
私はそのセリフで突然涙があふれ出て止まらなくなりました。
私自身も自分に生きている価値がないと思った事があるからです。
主人公同様氷河期世代で非正規でしか働いたことがありません。
挙げ句の果てに鬱病パニック障害を発症しひきこもりになった私です。
当時は本当に正社員では就職できない時代で、地元の幼馴染もコネでやっと入社できたという始末。
私はコネもなく、また当時離人症を発症しており自分が自分ではない感覚に陥り就職など考えられず、コンビニバイトのフリーターをしていました。
そこで大きなミスをし自信を無くして鬱病になりました。
また、とある事がきっかけで自分などどうでもいい、どうにでもなれ、と自分で自分を壊す行為を行いました。
当時読書にハマっていて、日勤帯で週5勤務だったのですが、毎日朝6時まで読書をし1時間寝て7時に起きるというある種の自傷行為を行っていました。
当然心身を壊しバイトを辞め、ひきこもりになりました。
片親育ちで母は仕事で手一杯で私のことには無関心でした。
弟も問題を抱えており、我が家は酷い有様でした。
今はなんとか問題もクリアして一応の平和な家になりましたが、私はまだ病状が安定せずひきこもりのままです。
なかなか外出が難しく、また病状の波が激しいため躁の時はほんの少しなら働けるのですがすぐに鬱がやってくるので仕事もままなりません。
また躁の時は買い物衝動が激しくとにかくお金を使ってしまうので働いてもお金は貯まらず、貯金もできずじまい。
この先どう生きていけば良いかまったくわかりません。
ドラマの中で父親は最後息子に対して生きてるだけでいいんだと叫びますが、私は自分の現状を垣間見て、何も世間に貢献できていない、生きる価値などあるのだろうかと思ってしまったわけです。
今日会った友人からパワーを分けてもらいましたが、それでも心のどこかではやはり価値のない人間なのではないかと思っています。
鬱の思考と、持病と一生付き合っていかないといけないという辛さでどうしてもそう思ってしまうのだと思います。
最後主人公は父親が努力して主人公を理解しようとしていた事を知り、必死の思いで父親の葬儀の喪主を努めます。
この先彼がどうなったかは描かれていません。
一度は生きている価値がないと全否定された彼が、生きているだけでいいと肯定されました。
私もそうなのでしょうか。
持病を抱え何も世間に貢献できずに、ただのうのうと生きているだけでも。
まだ当分迷路をさまよい続けると思います。