● 聖徳太子の気概


このところ、小沢氏やとりまきの訪中、その後の天皇陛下の政治的利用の問題など、中国との関係のニュースが多かったですね。


民主党政権は、日本を中国の属国にしてしまいたいのかと思わざるを得ない行動ばかりしているように思います。


それに昨日の拙ブログの記事にも書きましたが、朝日新聞をはじめとする大方のマスコミも、「日米同盟の解消 → 中国の軍事的勢力下に入ろう」的な論調を、さまざまなかたちで広めようとしているように見えます。


聖徳太子が、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」と、中国皇帝に書き送った精神、つまり日本と中国はあくまでも対等で一歩も譲るものではないという精神を、日本人は忘れてしまいつつあるようで心配になります。


● 元寇をはねつけた先祖のおかげ


先日、少し古い本ですが、湯浅赳男『日本を開く歴史学的想像力』(新評論、1996年)という本を読みました。



「この国」から「わが国」へ


この本によると、結果的に、元寇をはねつけた国(日本や西欧諸国)のみが、スムーズに近代化に成功しているということです。


蒙古軍に蹂躙されてしまった地域(ロシアや中国、朝鮮など)は、文化や社会が根底から破壊され、その後、何百年も、その後遺症に悩まされ、社会の円滑な発展が疎外されてしまったという趣旨のことが述べられています。


(たとえば、その後遺症は、ロシア史では「タタールのくびき」と呼ばれ、それをどうにか脱するのに200年以上も要したといわれています。また社会の仕組みも根底から変えられてしまったとあります。)


元寇って、途方もなく遠い昔のことだと思っていたのですが、いまの日本が豊かでそれなりに住みやすい国であるのは、結構、鎌倉武士のおかげもあるのだなと思いました。


(あまり定かではないですが、最近の学校の歴史の時間では、元は、日本に平和的な通商を求めてきただけで、世界の事情に疎かった鎌倉幕府がそれをはねつけたため、元の襲来を招いたとか教えていると聞きます。蒙古襲来も、日本のせいみたいです(-""-;)。自虐的な歴史教育に呆れます。「タタールのくびき」とかなんと説明するのでしょうか。)


● 日本と中国はあくまでも対等!を忘れるな


あくまでも、日本と中国は対等であることを忘れてはならんと思います。


そしてまた、日本の歴史を振り返ってみると、大陸・半島と深くかかわりを持った時期は、日本はロクな目にあっていないということも忘れてはならないと思います。(たとえば、渡辺利夫『新・脱亜論』(文春新書、2008年)にはその旨、詳しく書かれています。)



「この国」から「わが国」へ


小沢氏・鳩山氏らの民主党政権は、そして日本の大方のマスコミは、そういう日本の歴史を顧みず、再び、日本を東アジア情勢のなかで危機に陥れようとしているように見えてしかたありません。


独立自尊の気概と誇りを取り戻し、将来に禍根を残さぬようにしたいものです。


(下のリンクは、「元寇」という明治時代に作られた歌です。すこし古い感じもさすがにしますが、今聴いても元気がでます。歌のなかで歌われている福岡市の箱崎宮は、元寇のときの実質上の守り神となりました。いまでも「敵国降伏」の額が掲げられています。数年前に参拝したときは、プロ野球のホークスのポスターがたくさんあり、すっかりホークスの勝利祈願の神社みたいになってしまいたが....(;^_^A)。)


http://www.youtube.com/watch?v=C36pDA8u-EE


「元寇」

一、(鎌倉男児)
四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る /十万余騎の敵 /国難ここに見る /弘安四年夏の頃 /なんぞ怖れんわれに /鎌倉男子あり /正義武断の名 /一喝して世に示す


二、(多々良浜)
多々良浜辺の戎夷(えみし) /そは何 蒙古勢 /傲慢無礼もの /倶(とも)に天を戴かず /いでや進みて忠義に /鍛えし我が腕(かいな) /ここぞ国のため /日本刀を試しみん


三、(筑紫の海)
こころ筑紫の海に /浪おしわけてゆく /ますら猛夫(たけお)の身 /仇(あだ)を討ち帰らずば /死して護国の鬼と /誓いし箱崎の /神ぞ知ろし召す /大和魂(やまとだま)いさぎよし


四、(玄海灘)
天は怒りて海は /逆巻く大浪に /国に仇をなす /十余万の蒙古勢は /底の藻屑と消えて /残るは唯三人(ただみたり) /いつしか雲はれて /玄界灘 月清し


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