鳩山首相の所信表明演説の批判の続きです。
前回のエントリーに今回の所信表明演説は、耳当たりのよい理念や言葉を雑然と並べているだけと書きましたが、そのもう一つの例です。
「海洋国家」というフレーズです。
鳩山さんは、今回の演説の中で、2,3度、海洋国家という言葉を使っています。鳩山演説のなかでは、実質的にはあまり意味のない言葉として使われているようです。
引用してみます。
「日本はまた、アジア太平洋地域に位置する海洋国家です。古来諸外国との交流や交易の中で、豊かな日本文化が育まれてまいりました」。
「今回の維新は、官僚依存から、国民への大政奉還であり、中央集権から地域・現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への、国のかたちの変革の試みです」。
鳩山さんの言っているのは、せいぜい海に開かれていて交流や交易をおこなう国とか、寛容で開かれている国とか、その程度の意味でしょう。
ですが、普通、日本の外交や政治を論じる際に、「海洋国家」といえば、もう少し踏み込んだ意味で使うことが多いはずです。
たとえば、このフレーズを有名にした高坂正堯氏の論考「海洋国家・日本の構想」や、それにも影響を与えている梅棹忠夫氏の「文明の生態史観序説」などの議論を踏まえたうえで、「大陸国家」対「海洋国家」という意味合いを込めて使うのが普通ではないでしょうか。
つまり日本の場合だと、「海洋国家・日本」と使う場合は、対照的な存在として、「大陸国家・中国」、「大陸国家・ロシア」、あるいは「半島国家・韓国、朝鮮」などを念頭に浮かべ、それらとの対抗関係を重視していく見方が一般的であると思います。
世界を、「東洋(東アジア)」対「西洋」などととらえるのではなく、「ユーラシア大陸の中心部(中国、ロシアなど)」対「ユーラシア大陸を取り巻く諸国(海洋国家としての日本や米国、また西欧諸国など)」という図式でとらえるのが、一般的でしょう。
「海洋国家・日本」というフレーズが、日本の政治や外交を語るのに使われるときは、普通は、大陸国家である中国などを警戒し、それらとの適切な距離の取り方を考える見方につながるはずです。
つまり「海洋国家」を単なる耳当たりの良い言葉としてとらえるのでなければ、「海洋国家」という語句は、「東アジア共同体」のような日本と中国との性格の違いに無頓着な考え方には決してつながらず、たとえば麻生さんが提案していた「自由と繁栄の弧」や「ユーラシア・クロスロード」のように、文化・文明的に相容れない性格を有する大陸国家・中国との緊張関係を敏感に考慮する政策に向かうのが自然でしょう。
なのに、鳩山さんは、中国中心の「東アジア共同体」をバカの一つ覚えというか、宗教みたいに信奉してしまっているようだし、今回の所信表明演説でも、中国の非民主的性格にはまったく触れず、おまけにロシアも「アジア太平洋地域におけるパートナー」などというかたちで、ノーテンキに扱っています。
鳩山さんの所信表明演説では、「海洋国家」というのは、歴代の学者が訴えてきた意味合いをまったく考慮せず、ただの聞こえのよいフレーズとして使っているだけです。
長くなるので、いちいち指摘しませんが、「海洋国家」だけでなく、「人間のための経済」、「国民のいのちと生活を守る政治」、「地域主権」などのフレーズも一緒だといえるでしょう。あまり意味を深く考えることなく、軽薄かつ適当にならべているだけでしょう。
結局、今回の所信表明演説は、耳当たりのよい語を雑然とならべた、実質的意味のない、空疎な演説だと受け取るのが正しいようです。