時は聖武天皇が政を行っていた天平時代。
飛鳥から寧楽(なら)へ都を移し、彼の妃であり藤原不比等の娘である光明子が貧しい人々のために無料で治療を受けることができる施薬院を建立した。
その施薬院に勤める下級役人の蜂田名代はこのような勤めを早く辞めて、政治の中枢で働くことを夢見ていた。
そんな彼が上司である高志史広道と新羅から到来物払い下げの物から薬を買い付けに出かけるのだが……。
彼らが求めた薬は藤原房前に仕えている猪名部諸男にすべて買われてしまう。分けてもらえないかと頼む広道だが、諸男はその頼みをすげなく断るのだった。
二人の言い争いの中で新羅からやってきた役人の一人が高熱を出して倒れてしまう。ただの風邪だと思われた、それが疫病の嵐の始まりだった……。
「火定」 澤田瞳子著
この天平の天然痘の大流行は以前から知っていました。(高校時代の古文の先生がこうした脇道にそれるのが好きだったんですよね。ですが、私にはものすっごく楽しい授業でした♪)
光明子が仏教にとても傾倒していたことは有名ですし、この施薬院でハンセン氏病の患者の人の世話を真摯にしたところ、それが仏様になったという伝説が残っているくらいなので。
しかし、政治の中心部にいた藤原家の御曹司が四人とも死亡してしまうほどの猛威を振るったパンデミックですので、身分の低い人々は言うまでもありません。
そんな中で施薬院で働くことに不満を持っていた名代とかつて帝の侍医であったのにも関わらず、濡れ衣を着せられて捕らえられて、恩赦により牢から解放された元医師の諸男。
この対照的な主人公がだんだんと変わっていくのがいいですね。
名代は次々と運び込まれて死んでゆく患者に我慢できなくなり、施薬院の医師である綱手に対して「こんなところでこれ以上働いていられるか」と啖呵をきってしまうのがとても人間らしい。
そして、それにたいして綱手が名代は「出ていけばいい」と彼を突き放すのですが、その後で「己のためにおこなったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことはたとえ自分が死んでもその者とともにこの世に留まり、生きた証になってくれよう(一部略)」と諭すのです。
それは私個人の考え方なのですが、真理でもあるのかなと思ったのですね。受け入れていた孤児たちも天然痘で死に、次から次へと死を迎える人々に何ができるか。しかも、その人のためにしたことで自分も病になるかもしれない、死ぬかもしれない。ですが、それは人を救うことにより、自分もまた生きる道を選んでいるのだと諭しているのではないかと感じたのです。
今、コロナと戦っている医療機関の人々も同じ気持ちなのではないかと思うとありがたいと思うしかありません。
一方、宮中で他の医師にはめられて冤罪をかけられた諸男は牢の中で出会った宇須と共に、病に効くという常世常虫というインチキの神のお札を売ることになります。これを信じた人々は金を払い、家を引き渡し、施薬院から病人を連れ出してしまう。
もちろん、これは口から出まかせのものでしかない。
そして、札が効かないことに気が付いた人々に対して、宇須はこれは新羅の人間が持ち込んだ疫神が強いせいだと、だからこの都にいる異人を殺せとけしかけます。
当時、多くの留学生を抱えていた都の寺が襲撃対象になり、それは施薬院も同じ。
襲ってきた人間がけがをしても、手当てを尽くす綱手に理解ができない名代。そして、ここまでする必要があったのかと思い始める諸男。
ここで初めて自分が何をしてきたのか気がつくのですね。
誰だって恨みを抱えて生きていくのはしんどいです。そこから諸男が変わっていく姿はある意味感動的でした。
今年は本当に私にとってはよい本をたくさん読ませていただいてる感じがします。この作品もその一冊です。
元々、この時代は興味がありますし、(実際に面白い時代ですよ)藤原家が滅亡するのではないかと言われた天然痘の大流行。
病や天災のように人にはどうすることもできないことがあります。ですが、その中に一条の光を求めて足掻くのも人なのだと思うと、とても愛しい存在に感じてしまうのです。
心に残る一冊でした。