最初に授かった我が子は、
この世に生を受けることなく光となり、
そのおかげで、
あたりまえだとおもっていたことが
そうではないということを
思い知った。
その後
男の子を2人も授かったことが
どんなに嬉しかったことか。
子供たちを通して
この子達のおかげで
子供たちから
たくさんのことを教えられ
親として
人として
育ててもらっている。
赤ちゃんが授かったと分かってから
毎日お腹にそっと両手をあてながら
話しかけたり、
絵本を読んでいた。
長男が産まれ、
よく一緒にお散歩をした。
主人や
同居していた今は亡き義父や
義母のおかげで、
働きにでることなく
いつも
いつも
子供たちと一緒に居れたことは
今も思い返す度に
どれだけありがたいことだったかと
感謝がこみ上げてくる。
『ただいま』
『おかえり』
という何気なく使っていた言葉を交わせることに
幸せを感じ、
地元の児童福祉施設を訪れた時に
同じ屋根の下で
夫婦そろって
わが子を育てられている環境にあることが
どれだけ幸せで
恵まれていることかと気づいた時、
涙がとまらなかった。
たくさん失敗もしてきた。
いたらないことばかりだった。
それでも
とにかく
必死に
一生懸命だった頃、
わたしの心が壊れかけていたことにも気付かず、
そんな私の闇の状態を
まだ幼い長男が
身体を張って
救ってくれた。
そこから
徐々に
『自分を好きになりたい』
大嫌いだった自分を
好きになりたい。
そう思うようになった。
『待つ』こと
子供たちの時間や
していること
やりたいこと
を
自分の我で
『奪わない』ことも
心がけてきた。
昨年、
ダブル受験になり、
周りからは
「大変ね〜」
と言われたけれど、
わたしは
この子達が
自分から
自らの意志で志望校や塾を決めていく過程を
みることが
楽しくてしかたなかった。
子供たちを
『100%信じる』
ことがあたりまえだったから。
でも、
それは、
子供たちを信じる私自身を
信じきれているから。
これも、
子供たちから養ってもらったし、
気付かせてもらったからこそ。
責任をとる。
覚悟。
それらも
子供たちを通して鍛えられた。
私が今世で成長を遂げるには
『母親』
となることが必要だったのだと思う。
でも、
その必要がない方も
たくさんいらっしゃる。
全ては
ひとりひとりに必要なことが
用意されているのだと思うから。
先日
中村文昭さんの講演会を
家族4人で参加することができた。
子供たちは
想像していたものとはまるで違う。
そう思った様子で、
熱心に聞き入っていた。
まだ見ぬ世界
は大人でもたくさんある。
ならば
子供は
なおさらである。
子供たちの世界を広げるきっかけを作りたい。
親の狭い価値観だけで
子供の可能性を潰すことだけはしたくない。
子供のやりたいことが
明らかに失敗するかもしれないことでも
無理
という言葉は絶対に使わない。
どんどんチャレンジさせたい。
わたしは
子供たちの
一番のファンであり
応援団長だから。