2年前、
私はいきなりひどいめまいに襲われ、まる1日一歩も動けなくなったことがあります。


やっと起き上がれたかと思っても、
身体が思うように動かず、
一週間ほど
ほぼ寝ていました。

その頃の私は
全てにおいて、

自分がしなければならない。

と思っていましたし

して当然、

義務感
使命感

で動いていました。

人に頼ることは、
迷惑をかける。

同居している義母にも頼ろう

なんて

みじんも思っていませんでしたし、

むしろ

借りをつくるようで
言いたくない自分もいました。


余計なプライドですね。


でも
身体が動かない以上
頼るしか選択はない状況でしたし、

もう、
お願いして、
休ませてもらうこと。

を私は選択しました。


義母も主人も子供達も

本当によくしてくれました。

子供達はまだ小学生でしたし、てのかかることもたくさんあります。


最初
義母に申しわけない気持ちと

自分が動けない苛立ち

とがありました。

でも、
日が経つにつれ、

委ねる気持ちがもて、
感謝の気持ちがでてきました。

その上、
義母が

嬉しそうに家事をこなしていることに気付きました。

あぁ、

私は
ひとりでなんでもやろうとしていた。

母は、そんな私に
今まで何回となく

なんか手伝うよ。

そう言ってくれていたのに、

私は
よかれと思って
そのせっかくの申し出を
むげにあしらってしまっていた…。

受け取ることを拒否していたんですね。



友人達も心配して、
いろいろな料理を持ってきてくれ
「食べるものが一番やろ!」
と、
夕飯や朝食にと
作ったものを届けてくれました。

有り難かった。

その気持ちも、全てにおいて
感謝しかありませんでした。



辛い時、
何かあった時

o<)

とSOSのサインをだしてもいいんだな。

頼っていいんだな。



迷惑をかけてはいけない。

そう思っていました。

でも、
この経験は
わたしにとって
大きなものとなりました。


ひとに迷惑をかける=ダメ=罪悪感


無意識にそう思っていました。

自分がみじめになるような気持ちもあったんだと思います。

でも
今回、
そのセルフイメージが
ひっくり返ったのです。

私が寝込んでなにもできなかったことで、

周りの人々が
いろいろなことを
文句ひとつ言わず

しかも

喜んで
してくれたことに

まず
感謝の気持ちがあふれました。


人は皆
人の役に立つことで
喜びを感じる。

何かをひとに与えたい、
と思っている。


自分の存在価値をも見出していく。

わたしは
それを

素直に受け取ること

に許可できた。



体感しました。



迷惑をかける、

頼るのはいけない。

のではないんだ。

とはいっても、
あれして
これして

自分のことしかみないで
わがままで言うのとは
訳が違います。
よね。


わたしが寝込まざるを得なかったのは
こんな気付きを得るためだったのだと思います。


身体はいつも
こうやってサインをおくってくれますね。

気付けて良かった。


おまけですが(^-^)/

人が与えてくれたものを

感謝して受け取れるようになったわたしが一番変わった!
と感じること。

時間が増えたんです。

ブラボー!
です。

その時間で
私も与えることが増え、

さらに
受け取ることも増え、

感謝の言葉が増え、

ありがとう
と言っていただけることも増え

さらには
お金のあり方にも気付き、

状況が激変したんですよ。


受け取り上手になれて
良かった╰(*´︶`*)╯







愛と感謝を込めて。