ネットである製薬会社のエッセイコンテストを見つけた。

自分を知る意味を込めて、応募してみた。
11970の応募があったそうだ。
入賞はしなかったが、私の出したエッセイ

私は生きている

「病気になってよかった」

3年前、鬱病(うつ病)と診断された。

動悸、耳鳴り、めまい、今まで体験したことの無い症状に悩まされる日々。
自分だけ取り残されているという孤独感、絶望感、焦燥感に襲われ、
感情の波が押し寄せ、自分で抑えきれずに突然取り乱してしまう。
今までに経験したことの無い、「無の世界」に引き込まれるような感覚。

ある晩、バスタブの中で涙が出て止まらなくなった。
このまま沈んだら楽になれると思った。
自分の存在を消したい、消えてしまいたい。
誰かが闇の中で私を操作しているようだった。

毎日死ぬ事ばかり考えていた。
正気に戻ると「自殺してしまったらどうしよう」と恐怖が湧いてくる。
欝という名の底なし沼は、葛藤から逃れるための居心地の良い隠れ家になっていた。

薬と相性が悪いと症状がもっと進んだ。
副作用を感じると違う薬を処方された。
効果が出ないと、薬の量が増えていった。
抗欝剤、精神安定剤、睡眠薬、不安を軽くする薬。
病気そのものを治すのではなく、症状を抑えるだけの薬。
そんな薬に頼らざるを得なかった。
薬を飲まなかったら、もっと悪くなる。
これから先、死ぬまで飲み続けるのか。
薬が怖くなった。


薬を飲むのをやめた。
病院にも行かなかった。
薬依存症の自分に嫌悪を感じた。
もしかしたら、気の持ちようで治るのでは無いか?
「自然治癒力」、とても魅力的な言葉だった。

2ヶ月後、激しい頭痛に襲われ救急車で運ばれた。
車内でパニックになり、泣き叫んでいた。
搬送先の病院で出会った医師に、初めて薬についての不安を打ち明けた。
医師は、雑談をするかのように話をしてくれた。
欝の説明、薬の作用を誰かの噂話をするかのように話してくれた。

私の薬への不安、いまの状態を書いた主治医への手紙を書いてくれた。
「先生に診てもらいたい。」
「まずは、この手紙を主治医に見せてからね。」
「そしたら、通っていい?」
「主治医の反応を見てからだよ。」

その手紙を読んだ主治医は、
「説明不足で不安を持たせてすまなかった。辛かったんだね。
この先生の病院に移りますか?」と、言ってくれた。
「また治療を最初からお願いします。」
「最初からじゃないよ、もう此処まで来れたんだから。」
主治医への信頼関係が生まれた。
それからは何でも質問し、自分を全部さらけ出そうと思った。

「小さな死」を感じた。

完璧主義で負けず嫌い、つねに自分が正しいと思って生きてきた私が死んだ。
病気も自分の力で治せると驕っていた私が死んだ。
「死にたい。」と毎日願っていた私が死んだ。

今まで全力でつっ走っていた人生。
自分のことしか考えず、見栄を張り、わがまま一杯の人生。
都合の悪いことは他人のせい、いつも自分は被害者だと思っていた。
なんでも病気のせいにした。

被害妄想、自己嫌悪、自分の中で「負」の悪循環の繰り返し。

ふと立止まって過去を振り返ってみるための時間を、鬱病が運んでくれた。
なにごとも負に考える性格を変えようと思った。
病気を糧にして、本当の自分探しをしようと思った。
ようやく一筋の明かりが見えてきた。
それは、今まで、見たくも見れなかった光だった。
ありのままの自分を受け入れた瞬間、どこからともなく、光が射してきた。


1年前、橋本病(甲状腺ホルモン低下症)と診断された。

今度は、数値で症状が分かる病気。
甲状腺ホルモンが出ない病気。
検査と薬が一生付きまとう病気。

皮肉な事に、睡眠薬を飲まないで眠れるようになったのは、この病気のせいだった。
橋本病の症状の中に、欝があった。
自分なりに鬱病を克服してみよう前を向いていたのに、
また底なし沼に戻るのではないか、という恐怖が襲ってきた。

しかし、その恐怖を跳ね除ける力が自分の中に存在していた。
心身ともに辛い病気だが、それが当たり前と受け止め、受け入れれば、
その後の人生は輝きに満ちているはずと思えるようになっていた。

今まで気が付かなかった、小さな幸せ。
「家族」「友達」はもちろん、自分を囲む全てのものに感謝しようと思った。
人は一人では生きてはいけない。
しかし、一人で生きていかなくてはならない。
自分だけの「幸せの在りか」を見つけたい。
病気を自分に心地よさを与えてくれるものに変えよう。
悪い日があって当たり前、良い日を増やしていこう。

今までの悲しいことには意味があったのだ。
涙は心の洗濯。
今までの私を洗いながしてくれた。
行き止まりのトンネルで、もがいていた自分に出口が与えられた。
そして、その出口に小さな光が見えたとき、病気は私にとって特別なことでは無くなった。

「私は生きている。」

病気が教えてくれた。

病は気から、気は病から