ざっくりと私の反省をヒトコトでまとめると、「共依存で何とか生きてきた」が妥当だろう。

 あまり生育環境は良いとは言えなかった。 
わりと金銭的には恵まれていたが、夜になると酒癖の悪い両親が殴り合うような家庭だった。
私は殴られなかったが、両親の姿を見て「愛があれば殴るものなのだ」と刷り込まれたのがタチが悪かった。その刷り込みが誤りだと気づいたのは、小六の時だった。 
お察しだろうが、両親も共依存だったのだろう。
そして、互いにエネルギーを吸い取られるが故に、私にはエネルギーを大して向けられなかった。 
例えば私は、ひどくいじめられていた。
蹴られたり殴られたりは日常茶飯事で、クラス替えの時期は新しい人間関係に怯えていた。
 両親は、私がいじめられていたことを知っていたらしい。しかし救ってはくれなかった。救えるほどのエネルギーがないのである。外面よく言えば「見守って」いた、しかし私から見れば「見殺し」である。
今そういえるのは、ギリギリ私が生きているからだ。 
 いじめというのは、間違いなく自尊心を削り取っていく。自尊心が全て削られ尽くすと、ヒトは死を選ぶのだろう。
私は死にたくなかった。
私は「自尊心」を埋める方法を探した。ボランティアをしたり、良い成績を取ったり、良い大学に進学したり。しかしそれは次第に「〇〇さんなら当たり前」という評価に繋がり、自尊心というより鎖になり邪魔者になった。 
そんな私が巡り会ったのは、「ヒトの話を聞く」であった。物憂げなヒトを見つけては話しかけ、ずっと話し相手になった。そして必要とされることで己を満たした。次第に深い関係になることにより、私自身を求められるようになる。私自身もそれを求めていた。 
 そして私のほうも、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。私の不幸な生い立ちは、ある人にとっては甘い匂いがするらしい。話を聞いてくれる人はその「甘い匂い」をかぎ、私はそうされることで満たされていた。また、「不幸な生い立ち」を話すことも欲していた。思い出したくないはずなのに、思い出したい、話したい。思い出し話すことで、私は過去を追体験する。
 ヒトは残念ながら、過去を美化してしまうのだと思う。そして、過去は幸せだった、昔のように生きるべきだ、愛されていたと信じたいのだと思う。私は何とか生きている、死線をくぐるように生き抜いてきた。中には沈んだものもいるが、私は生き抜いた。私は成し遂げた。その高揚感と歪んだ肯定感は、私を「話す」ことへと駆り立てた。

 「依存する役割」「依存させる役割」のどちらも経験した私は、削られた自己肯定感が埋められていくのを感じた。でも、今なら思う。それは「自己肯定感」なんかではないのだ。「それ」の正体を、私はまだ知らない。 ただひとつ言えるのは、「それ」がないと私は今こうして2022年を迎えていない。でも、「それ」は決して好ましい存在ではない。
 思い返すと、本当に異常な精神状態だったのだと思う。 
  喉が渇いたと水をくんで口元に持っていっても、その口は固く閉じて水を拒む。水は顎へ伝い、一滴も体内に入らず流れていく。そのくせ泥水は飲み、腹が痛いと叫ぶ。乾きは癒されないのに、喉が渇いたと叫ぶ。親切に口をこじ開けようとする者が現れると、そんなことしてくれるなと錯乱する。あれは言ってしまえば、ある種の飢餓状態だったのだ。極度の飢餓状態において、高栄養状態の食物を摂取すると、体がついていかずに最悪死に至ることがあるという。心にも、そういうことがありえるのかもしれない。 
 私は「粗悪な愛」ばかり飲み込んでいた。 
そんな私を変えたのは、「新たな私」の片鱗だった。 
 この精神状態では無理だろうなぁと思いつつ、なんとか就活を勝ち抜き正社員になった。カネを稼ぐのは慣れないことだった。色んな人に迷惑をかけつつも、金を稼ぐことは私の精神に良い影響をもたらした。ある種の「正しい自己肯定感」の片鱗だった。 
 別に「労働」「稼ぐ」「カネ」を正当化したいのではない。ただ、自分が「建設的に頑張る」ことにより手に入る「カネ」という対価、はあまりにも分かりやすく、革命的だった。 
 今までは「生き長らえる」ために他者を消費していたが、これからは「生きる」のだ。自分で稼ぐということは、ここまでも私を前向きにした。その「カネ」で私はカウンセリングに通った。そして、今まで私を生かしてくれた「共依存」と、体がもげるように痛みで決別した。私にとって過去とは何か。はっきりとは思い出せない。実際、街で元いじめっ子と出くわした際に丁寧にわざわざ謝罪いただいたが、話終わる頃にやっと「あのことか」と頭の中でポツンと光景が思い出されるだけだった。 そこに感情は伴わなかった。
 私のような例は稀かもしれない。 
が、稀だからこそ書いておこうと思う。