娘と2人で花見に行ってきました。
もともと友人と会う予定でしたが、いろいろありリスケに。
ぽかぽか陽気の中、昼寝する娘。
2ショット📸
20年前の今頃、私は高校の卒業式を迎えていました。
当時の私を思い返すと、いじめに遭い、不登校気味だった日々の記憶が蘇ります。
高校卒業後は、福井の実家の自室に引きこもる毎日。外に出るのが怖くて、周りの友人たちが大学や専門学校、就職へと進んでいく中、私は一人、自室でネットサーフィンを繰り返していました。
「このままこの部屋で腐って死んでいくのだ」
本気でそう思っていた、どん底の10代でした。
そんな私を暗闇から連れ出してくれたのは、一通の手紙でした。
差出人は、オーストラリアをワーキングホリデーで旅していた友人。手紙には、ウェーブロックを背景にした写真や、大陸を一周している最中の彼女の笑顔が同封されていました。
自室の狭い世界でうずくまっている私と、海の向こう側で広大な大地を踏みしめている彼女。
そのあまりのコントラストに、私の心は激しく揺さぶられました。
「私も、外の世界を見たい。この部屋から出たい」と、心の底から思ったのです。
そこから、私の人生は劇的に動き始めました。
20代前半は、地元でとにかくたくさんの仕事を経験しました。
官公庁の非常勤職員、花屋、イタリアン、ホテルのフロント、アウトドア専門店、BtoCのPCメーカーのコルセン……。
社会経験を積むために副業で夜の世界にも飛び込み(3ヶ月で閉店してしまいましたが)、働いていたバーが全焼してニュースになったり、副業でパチンコ屋のホールで短期間働いたりしたことも、
今では強烈な思い出です。
とにかく、あの閉ざされた部屋から一歩踏み出し、泥臭く社会の荒波に揉まれる道を選んだのです。
その後、スーツケースにリクルートスーツとPCを詰め込んで、大阪にIT系の企業面接を受けに行きました。
そして、とある大手企業の子会社に契約社員として採用され、川崎での3ヶ月間にわたるBCP立ち上げ研修を経て、大阪で6年半。その間sesに転職し開発職で正社員に。その後異動願いを出して、東京へ。
20代は海外旅行にもいろいろな場所へ行きました。あの手紙を見て憧れた、広い空気を吸いたい。自分の足で訪ねて、いくつも心に焼き付けてきました。
大阪時代は1人暮らしから、元彼とタワマンの高層階で暮らした華やかな日々もあれば、外国人ばかりのシェアハウス、さらにはホテル暮らしを転々とする不安定な時期もありました。その後また一人暮らしに戻り、自分の力だけで生活を切り盛りし孤独も自由も引き受けて生きてきた時間は、今の私の大きな糧となっています。
決して平坦な道ではありませんでした。
でも、そんな荒波をいくつも潜り抜けて、私は今、ここにいます。
今の私には、守るべき子供がいます。生活にゆとりができ、新しい趣味の世界に挑戦しようとする情熱があります。
そして本業でも、さらにスキルアップを目指して自らを磨き続ける意志があります。
20年前、暗い部屋で絶望していた自分に伝えてあげたい。
「大丈夫。あなたは一通の手紙をきっかけに、部屋を出て、外の世界に行けるよ。一人で立ち上がる強さを手に入れて、20年後には自分の手で、居場所を築いているからね」と。
20年目の新しいスタート。
これからも自分のハンドルを握り、アクセルを開けていこうと思います![]()


