施餓鬼法要が終わり、後片付けや滞っていた寺務関係の処理も一段落したので、久しぶりに高岡駅南口にて托鉢をさせていただきました。

施餓鬼供養が檀家さんや信者さん向けの行事だとするなら、托鉢は一般の人向けの活動だと考えています。

もし拙僧が托鉢に立っていないなら、その日1日仏様に手を合わせることが無かったかもしれない人が、私を通じて金光院のご本尊様に手を合わせていただける。

その日1日、仏様について考えることが無かった人に少しでも仏教に興味をもっていただける。

托鉢中、こちらから積極的に声をかけることはしませんが、声をかけていただけたら喜んで話をさせていただいています。

もし皆さんが街中で托鉢する僧侶を見かけたら、ぜひ話しかけてみてください。

そして、このブログの読者さんで僧侶の方はぜひ街中に出て托鉢をしてみてください。

仏教は決してお亡くなりになった人のためにあるものではありません。

常日頃疑問に思うこと理不尽に感じることを僧侶に尋ねてみてください。

無論、拙僧は悟りを得た存在ではないので、お答えできないことも多々あることとは思いますが、今を生きる人の気持ちを少しでも軽くできるように精進していくつもりです。

このブログをきっかけにお近くの真言宗寺院にお参りいただけたら幸いです。