日に日に暖かくなってきましたね。
桜の便りが届くのが楽しみです。
今月の6日に義母が亡くなりました。
脳梗塞で病院に搬送されてから、およそ2年5か月の入院生活でした。
入院する直前まで、義母は元気でした。
義母は、踊りの師範をしていて、生徒さんもいました。

次のショーの予定も決まっていました。

それが、突然、病気で倒れ、その後、リハビリセンターに入院しましたが
もともとの自由奔放な性格のため、介護員さんの言う事を聞かなかったり
夜中に騒いだりしたため精神異常のレッテルをはられ心療内科に転院させられました。
そこで、おとなしくするための薬を服用させられ、手足を拘束され…
(過去記事参照)
2年を過ごしましたが、1月にかかったインフルエンザが引き金になり
徐々に体力がおとろえ、食事もできなくなり、心療内科のベッドで亡くなりました。
死亡診断書の死因欄には【老衰】と書かれていました。
わたしは、ずっと義母を恨んでいました。
(あのこと)があってから、ずっと…
恨んでいたというより、怒っていた…許してはいけないと思っていたというのが正しいかな?
そして、いつか罰をあたえられればいいとずっと思い続けていました。
彼女が入院して、数か月は、気の毒に思いながらも、これが彼女に与えられた罰なんだと思っていました。
だって、彼女はそれほどの事をしたのだから…
彼女の車いすを押して、手を握り、わけのわからない話に相槌をうち…その時は、気の毒に思いながらも
うちに帰るころには、コロッと忘れて、そうなって当たり前なんだと心に言い聞かせて納得していました。
それでも、いつかもう少しましな場所で生涯を過ごさせてあげれれば…とも思っていました。
ただ…その場所にはわたしたちはいない。
わたしたちと彼女は同じ場所に存在できないんだと…
彼女が1月に高熱を出し、体力が衰え、今月に入った頃、病院から死期が近いかもと連絡があり
家族で会いに行きました。
心療内科のその病室は、普通の(語弊があったらごめんなさい)病院の病室とは違い。。
周りのベッドからは、動物のようなうめき声や、言葉にならないつぶやきや…
10分居たら気が狂ってしまいような、そんな場所で、
彼女は危篤の患者にしては首をかしげたくなるような簡易な計測用の器具と点滴につながれ
集まった家族を朦朧とした目で見つめていました。
後日、危篤は医者の早とちりだったと連絡があり、
もう少しましな病院に転院させるよう、探し始めた矢先でした。
亡くなる前、彼女は華やかな世界にいました。
沢山の生徒を教え、色々な活動をし、沢山の表彰もいただきました。

生前、自分の葬式には、葬儀場に入りきらないほどの参列者があると言っていた彼女…
2年間以上も入院し…人知れず息を引き取った彼女の葬式は、参列者も供花も少なく、
とても寂しいものでした。
葬儀の片づけの時に、姉が言った
『あの人は、自分が一番好きな人だったから』その言葉が印象的でした。
自分がどう生きるか、どう終わりたいか
自分のために生きて、静かにこの世を去るのか
それとも、一人でも多くの人にありがとうって言ってもらえる生き方をするのか…
そんな事を考える、この数年間でした。
そうそう…
実家の整理の合間に、主人が見つけてきてくれた写真です。ピンぼけですけど…


こんな小さいときもあったんんですね^^