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近藤昇ブログ 会社は社会の入り口だ

ブレインワークスグループCEO近藤 昇が、主に学生に向けてメッセージを発信しています。


そろそろ、来来春の新卒の就職活動が始まる。
30年前の私が社会に入る頃は、働く人生は約40年の感覚であった。
昨年末「もし波平が77歳だったら?」を上梓したが、
今や社会人1年生から見たらこれからの仕事人生は、
最低でも50~60年になりつつある。
こんな話を聞いても、すでに驚くほどでもない。
実際に生涯現役を目指して活躍されているシニアが増えてきた。
ICTの劇的な進化やグローバル化の中で、
日本国内外問わず働く環境は大きく変化し続けている。
日本は、少子化・高齢化があいまって、
先行き不透明感が日増しに拡大し、不安を増大させている。
地球環境や生活環境などに影響される経営環境が激変すれば、
当然、企業も変化に適応せざるを得ない。
かつてのように大企業に入れば安心・安泰という考え方は通用しない。
昨今の日本の電気メーカーの凋落ぶりにはショックさえ感じる。
しかし、感傷に浸っている場合ではない。
なぜ、こんなことが起こっているかを知っておくことの方がよほど大切である。
本質を見つめることが重要であり、そのような訓練を繰り返し、
若くしても変化の察知力を身につけていきたい。

企業の寿命はひと昔前は30年と言われた。
現代はもっと短くなっている。
もちろん社歴100年を超える企業もある。
日本の場合、いわゆる老舗企業が世界で最も多い国だ。
しかし、「社歴が長い」「企業の規模が大きい」という理由が
企業の安定に直結するかといえばノーである。
重要なのは変化に適応できるかどうかという点だ。
今の時代、新人で入社し、定年まで同じ会社で働き続ける確率は
とても低いだろう。
最低でも人生は二毛作・三毛作の時代である。

私は今、70歳を超えてもなお現役で活躍し続ける
シニアと接することがとても多い。
社会の変革や人に役立つビジネスの構築において大活躍されている
シニアの方々とお話しすると、なんとパワフルなのかと驚く。
それと同時に「日本もまだまだやれる!」と心強く感じる。
ところが、そんなシニアの方々が今の日本に一番危機感を感じて心配している。
子供時代に戦後を体験し、高度経済成長胎動の時期から
日本の激変を肌で感じているシニアにとって、
今の日本の中年族の現状はぬるま湯に思えてならないという。
思わず喝を入れたいとも漏らす。
深く接していると体の奥底にその時代の魂や活力が
みなぎっているのをヒシヒシと感じる。
現役引退して悠々自適に人生を過ごす気にはとてもなれないと
言わんばかりの方々ばかりだ。
世界は日本の経済成長を「奇跡」と呼ぶ。
戦後の荒廃から短期間で世界トップクラスの成長を遂げたからだ。
そんな困難な状態から立ちあがってきた不屈の精神に尊敬の目を向ける。

国が豊かになる過程で、国全体が安全運転と安定志向に
進むのはやむを得ないところはある。
失敗経験を活かし続けるとやがて『成功の法則』しか必要がなくなる。
日本はそういう状況に陥っている。
安全な社会で育ってきたが故に、
今の若い世代はリスクテイクできる人は極めて少ない。
失敗を許さない環境で育ったから致し方ない。
しかしながら、すでに日本を取り巻く世界の環境は激変している。
かつて、日本は数多くの失敗をし、
小さなイノベーションを積み上げながら、
品質改善やサービス力を向上してきた。
トヨタに代表されるカイゼンのエッセンスは
世界ですでに広く浸透している。
繰り返すが、失敗を繰り返し、そのたびに試行錯誤、
血の滲むような努力の結果で今に至った。
イノベーションとは、必ずしも発明ではない。
技術革新ばかりを指すものではない。
すでにあるものを改良したり、適応させることこそ、
イノベーションの本質だ。
日本の将来には課題が山積している。
高齢化や少子化、それにあいまっての海外市場の開拓なども挙げられる。
日本人が果敢に挑戦し、自らがイノベーションをリードしなければ
切り拓けない環境にある。
しかしながら、今の大企業の経営者は失敗が許されない。
成功の道ばかり探す。
そして、安全運転の範囲で陣頭指揮をする。
もちろん、新規事業の創造にもトライはするが、
狙う単位が大きすぎる。
それが時にM&Aだったりする。
ビジネスパーソン個人での失敗体験とはかけ離れた次元だ。
それにつられて、企業内の社員教育どころか
学校教育も失敗をしない方向に走り出す。
確実に失敗をしない方法は「何もしないこと」である。
しかし、それは次のステージへの道を閉ざすことでもある。

失敗学で有名な畑村洋太郎氏の「失敗学のすすめ」を読むと
失敗の大切さを実感できる。
本来は小さなことを継続的に試行錯誤し続けるなかで、
イノベーションは生まれるのである。
今の若者が歩むこれからの数十年は変化の連続が待ち受ける。
何歳になっても、失敗を恐れず、チャレンジし続ける。
生涯現役で失敗を恐れずチャレンジする。
日本にはまだこのような思考のシニアが数多く存在する。

これからの若者は、若いうちに失敗から学ぶ力を身につけてもらいたい。
それには忍耐力やストレス耐性も不可欠になる。
そこはやはり百戦錬磨のシニアに教えてもらおう。
「年寄りの小言」も「いずれ歩む道」と思えば我慢もできる。
シニアが若者を鍛える時代がしばらく必要だ。

日本国内のサービスレベルは世界でもトップクラスだ。
しかもそれに加えて、この前の東京オリンピック誘致活動で、
「おもてなし」というキーワードが世界に発信されたことにより、
海外からの観光客も日本の「おもてなし」に期待を膨らませている。
日本国内での企業による顧客獲得競争が激化して
すでに20年以上になるが、
今や、経営改善の課題は何かと聞かれると、
お客様を大事にする取り組みを最重要視している企業が多い。

その現場でよく使われている改善のキーワードは
「顧客満足度の向上」である。
高度成長期ど真ん中の時代は、
右肩上がりに増えていく潜在顧客が常にあり、
昨今のように顧客の囲い込みの努力をしなくても、
ある程度の品質の商品やサービスを提供すれば
ビジネスはうまくいった。
今は状況は一変している。

あらゆる業界が顧客の奪い合いを繰り返している。
ここ最近は特に、少子高齢化によるマーケットの縮小も重なり、
厳しさは増す一方である。
まさに、「お客様は神様」の時代である。
とはいえ、以前はここまでお客様至上主義を謳う企業も少なかった。
どこか自然にお客様と対峙していたように思える。

ここ数年の顧客満足度向上合戦は悪循環を
生み出しているとしか思わない。
海外に出たら、世界一行儀がよい日本人も日本国内では
大クレーマーに変身する。
最近では、耳慣れて驚かなくなったが、
モンスターペアレントが大学にまで登場しているという。
大学は、純粋に商売とは言い難い部分はあるが、
クレームを発生させないように先生たちも
ピリピリしているという。
近年、問題のあるクレーマーの言動はますます
エスカレートしている。
客が怒って、店員に土下座させたという
SNSへの投稿も出てくる有様である。
これでは企業で働く者は、疲弊し、ストレスが溜まるのも頷ける。
このストレスを抱えた状態で、自分自身もお客という立場にも変わる。
それでは確かに悪循環である。

とにかく、日本は行き過ぎた笑顔重視のサービス方針に
大きな問題がある。
良いサービスを実現するために、笑顔での接客は大切だ。
顧客対応での笑顔が大切であることは否定はしないが、
単純にお客様に喜んでもらうための心からの
自然の笑顔であればよいが、今のサービスの現場に立つ人たちは
必ずしもそうとは言い難いだろう。
私の知り合いの元キャビンアテンダントの友人が面白いことを話していた。
彼女は、仕事柄、笑顔が特に重要なので、
毎日、鏡に向かって笑顔のトレーニングをしている。
これを10年も続けていると、
とにかくどんな場面でも笑顔でいることができる。
実際に葬式に参列した際も、つい人の顔を見たら笑ってしまったという。
今ではそれが悩みになっている。
信じられないような話だが本当らしい。
ベトナムのセミナーでこのネタを話したら、結構、ウケた。

一方、今のアジアの国々はどうだろうか?
そもそも、お客様を大切にしているのだろうか?
初めてアジアを訪れた日本人は、彼らのサービスの酷さに嫌気がさす。
どう見ても、客である私たちを大事にしているとは思えないのだ。
空港、ホテル、レストランなど、どこへ行っても不満がたまる。
ベトナムだけに限らないが、
お客様は、サービスする側にとって、どちらかというと面倒くさいのだろう。
そう感じている人たちが多い。
実際に「仕事をしてやってる」という意識の方が強い。
こんなことをボヤいていたら、ベトナム人の友人は笑いながらこのように諭す。
「この国は、まだ、売り様の国よ」

今の日本は働くことでストレスが溜まっていく。
一方で、アジアで私たち日本人がお客になることは、
違う意味でストレスが溜まる。
そして、アジアで私たち日本人がお客様にサービスを提供すると
幸せになれる。
なぜならば、ちょっと丁寧にサービスをするだけで喜んでもらえる。
日本の飲食店などでアルバイト経験のある高校生クラスが
ベトナムで顧客対応したら、「素晴らしい」と褒められるはずだ。
商売の原点を勉強するためにアジアで経験を積む。
今の若者にはとても大切なことだと思っている。
当社はレストランなどのサービス業をベトナムで展開している。
インターンにチャレンジしたい方、いつでも連絡ください。

当社の強みはアジアビジネスの講演やセミナーを日本、アジアの
双方で開催している点である。
10年以上継続的に行っているが、
自分たちのビジネス活動が俊敏かつ新鮮でないと役立つ有益な情報は
お伝えできないと確信している。
そう思うと日々緊張感をもって仕事に取り組める。

最近は、『蟻の目、鳥の目、魚の目』を意識して活動する必要性を実感している。
私自身、ベトナムや東南アジアビジネスについて話をすることが多い。
特に「まるごとベトナムセミナー」はお気に入り。
人口9000万人超の伸び盛りのこの国はそうそう簡単に把握などできない。
ベトナムで活動を始めてもう20年近くになるが、
知らないこととの出会いを繰り返す毎日である。

ベトナムでホットなビジネスの分野としては、
建設・住宅、農業と食、サービス業などがある。
つまり、人間が生きていく上で不可欠な「衣食住」にまつわる分野が増えてきた。
ローカルマーケット狙いのビジネスにシフトしてきているのは間違いがない。
必然的に、日本の企業だけでなく、世界から企業が参入し、激戦地になりつつある。
日本は、日本の強みを生かした戦い方があると確信しているが、
今のままではとても心許ない。
今後、日本がベトナムなどの有望なパートナー国に十分な貢献ができるだろうか?
お互いにWin-Winの関係を長期に続けていけるのだろうか?
不安になる。

私は、どのアジアセミナーでも毎回、聴講者に尋ねることがある。
「みなさん、ご飯にハエが飛んできてとまったら、そのご飯を食べられますか?」

ベトナムでも日本でも、対象者が経営者であっても一般の方であっても、
聞いてみるのだが、それぞれの反応がとても面白いし、あることに気づく。
ご飯にハエがとまる様子を漫画を使ってスライドに映す。
感性に訴えてみる。

 

 

予想通り。
今の日本では、年齢に関係なく、食べられるという人はほとんどいない。
昔、食べたことがあるかと聞けば、
私の年齢(今52歳です)以上の人は経験があるだろう。
田舎育ちか都会育ちかによっても違う。
いずれにしても、今は食べたくない。
あるいは食べることができない。
当たり前の話である。

一方、ベトナム人に聞くと、8割~9割の人が、笑いながら手を挙げる。
「当たり前でしょう、なんでそんな質問するの?」

「日本人の多くは食べません」と聞くと、不思議そうな顔をする。
先進国をよく知るごく少数派は別として、
ごはん(食事の場所)にハエがいない環境など知らないのだ。
私が子供のころの田舎の生活環境とそっくりなのである。
私もその頃、都会の生活体験はないが、
都会育ちの友人たちに聞いても、よほど裕福な環境の人を除けば、
そんなに大差はない。

日本のような先進国がベトナムなどの東南アジア、
さらには将来アフリカなどに出て行ってローカルマーケットを
相手に商売するということは、
昔の日本の生活環境に戻って生活体験し、そして商売することと言っても過言ではない。
では、この頃の日本はどんな世界だっただろうかと思い起こしてみる。
私は真っ先に、「公害」と「農薬」が頭に浮かぶ。
特に、農薬の怖さが身にしみている。
専業農家で育ったこともあり、子供の頃に農業を手伝う中で、農薬の怖さも体験した。
「吸ったら死ぬぞ」と、親父が真剣に怒っていたのを覚えている。
この頃の日本の農薬は本当にひどかったと思う。
規制も何もない農薬を使い放題の時代だ。
今、日本の農業が世界から安心安全の面で信用されていること自体が
自分自身では信じられない。

公害は、もっとひどい。私は田舎で平和に暮らしていたので、
尼崎や四日市や川崎などの工業地帯の環境汚染を体験はしていない。
しかし、痛々しい公害の様子や川に浮かんだ魚の映像が今でも脳裏に焼きついている。
そして、その公害のど真ん中の場で生活していた人の体験を聞くと、
衝撃的なことも多々ある。

日本も随分とひどいことをしていたし、問題だらけだったのだと痛感する。
今はどうだろうか?
日本は確かに環境先進国だ。
そして、環境面で劣る中国を「けしからん」と批判している。
また、中国以外の新興国の環境破壊に対しても駄目出しをする。
こうした風潮に対して一言言いたい。

「昔の日本を忘れたの?」

今までの日本とこれからの国の歩みを重ねて考えてみると、
人間は、ある進化の過程で、必ず同じ過ちを犯す。
工業化を優先したり、利益至上主義で食品に色々な添加物を加える。
そして、汚染された廃水をそのまま川に流したり、空が一面曇って見えるほど、
工場から噴煙が吐き出される。

現代の日本は、事実、世界に誇れる環境対策万全の工場があり、
安心安全の農業が存在する。
いわば、過去の失敗から学び、時間をかけて改善して課題を克服してきた国なのだ。

私は、最近、好んで『課題先進国』というキーワードを使っている。
あるテレビ番組のドキュメンタリーで使われていたのだが、私にはとてもピンときた。
日本は、優れた国というよりも、課題を克服してきた国である。
それは、経済発展がスタートした新興国や後進国に有益なノウハウが
たくさんある国ということである。
過去が反面教師であり、お手本でもあるのだ。

ちなみに、課題先進国という言葉は、もうひとつの意味がある。
それは将来に向けての課題が山積している国という意味も含まれる。
世界でも真っ先に少子高齢化社会を克服しなければならない状況だ。
これから課題を克服できるだろうか?
きっと、日本は乗り越えるだろう。
今の日本では、こちらの意味での使われ方が主であると思う。
いずれにしても、これからの日本の歩み次第では、
昔も、今のノウハウも世界の発展に貢献できることは多いと思う。
だからこそ、まず大切なこと。
近い未来で、近隣の国に貢献できることはなんだろうか。
過去の歩みの中で学んだ失敗や教訓、そこから生み出した技術やノウハウを
伝えていくことこそが、本当の意味での貢献につながることだと確信している。