11/20~24、京都の次女んちにお泊り。
2日目、11/21の続きです。(その1はココ)

渡月橋を渡り、川沿いの道を上流に向かって歩きます。
ちなみにこの川、正しくは桂川。
桂川は流域によって「保津川」や「大堰(おおい)川」などと呼び名を変えますが、行政上の表記としては(どこを流れてようと)「桂川」なのだそう。
ちなみにこのあたりは大堰川?
目指すのは「京都一絶景」と言い切る
、山の中腹にあるお寺さん



途中の景色が素晴らしい


屋形船のお客に食べ物など販売する、「売店」みたいな船。
手前の水槽は山女魚(かな?)のいけす。
この上(アタシが歩いてる道の脇)から山水引いてます。アッタマいいー


TVで見たけど、いか焼とかみたらし団子とか売ってたような・・。
船の上で景色見ながら食べるとおいしいんだろうなー

調べてみたら、屋形船の料金って思ったほど高くないし、今度乗ってみたいわー


最後のほうはなかなかの急な石段で息は上がるわ、足は痛いわ、汗だくだわ(もうコートは脱いで小脇に抱え、セーター腕まくりですわ
)でキツかった~~
(スニーカーじゃなくショートブーツでした
ナメてたわ
)
途中見下ろすと、トロッコ列車が通るのが見えました。





紅葉の木立の間を進んで行くので、肉眼でははっきり見えたけど、スマホで撮った写真だとほぼ車体が判別できず、ここにはアップせず


しかし行き着いた先の絶景に癒されました

大悲閣千光寺 からの眺めです。
川があーんなに下です

膝悪いのに我ながらよぅ登った


角倉了以(すみのくらりょうい)像
手には石割斧を持っています。
高瀬川を開削し京都から伏見、さらに淀川を経由して大坂まで・・この水運ルートを整備した、いわば京都の歴史を語る上で欠かせない人物。(アタシは娘が京都に住むようになって初めてこの名前知りましたが
)

このお寺は河川工事に協力した人々の菩提を弔うために、嵯峨中院にあった千光寺の名跡を移して了以が創建したのだそう。

こんなの初めて見ました

なんでも角倉一族のひとり吉田光由(みつよし)は、江戸時代前期の和算家で、わが国初の算術書を出版したそうで、そのためこのお寺はそろばん上達、ひいては数学・理系上達の寺としても有名(とお寺でもらったリーフレットに書いてあった)だそう。



さて、千光寺に別れを告げて、来た道を戻ります。
上るより下るほうがた~いへん
膝・足首痛い~



川沿いにいいカンジのおでんのお店
たぶん近所の常連であろうおじいちゃんたちが、小上がりでワンカップ片手に食べてる

アタシもおなかペコペコ・のどカラカラだったので、ここでビール
におでん・・と行きたかったとこですが、なにしろスマホもモバイルバッテリーも風前の灯だったので、何が何でも(目星付けてた)コンセント使える(=充電できる)お店でお昼は食べないと~
とガマン・ガマンで泣く泣くスルー




外国人に超人気らしいモンキーパークの入口
へぇ~、こんな鳥居くぐって行くのか~。
おもしろい場所にあるねー

その3へつづく・・・