奇跡と一言で片付けるのには、余りにもその存在は多重的な意味を持っていて、しかしながら、偶然という言葉が当てはまるのかといえば決して同意できるわけでもない。
先日ドキュメンタリー映画を観に行ってきました。
「ももいろクローバーZ ~アイドルの向こう側~」
自分がどう多重的にグループを含めた現象を捉えているのか、それを分かりやすくレイヤーとして分析してみると…
まずは「モノノフ」と呼ばれるヲタクとしてのレイヤーの一面。
これはライブ会場などで公式の販売する各グッズを購入しそれらを身に纏うことで達成される表面上の物理的な一面。これは一般社会からの拒絶を体現する行為であると自分は捉えていて、ライブ当日の自分はファンとして恥じないよう振舞うが、それと同時にすまん没頭させてくれという精神的な無言のサイン。中には飽き足らず自分だけのグッズを作ってくる強者もいらっしゃるようですが…
「コール」と総称される各楽曲に寄り添う形で進化してきたライブ会場でファンが行う声援という一面。
これは元々、無印時代の名物ヲタと呼ばれていた方々などが中心となり他のアイドル現場で使われていた「コール」をももクロの現場用に応用したのが始まりと言われている「合いの手」の総称です。昔の曲が未だにファンの間で人気があるのもこれが影響していると自分は考えていて、新規楽曲が発表される程に声援の内容もワンパターン化してきた所に、感染症騒ぎにより現在は禁止事項になってしまったという現象で、会場の規模やファンの総数を考慮するとメンバー発案ならともかく、いちファンの突飛な声掛けを群衆と化したモノノフが無条件に受け入れるとは考え難く、時流の流れとして受け入れなければならないことのようです。
SNS部隊としてのファンというレイヤーの一面。
公式ページや非公式まとめサイト、その他主にツイッターとインスタやYoutubeチャンネルなどを駆使してグループの動向などを日々伺って、もし何かあれば初動ですぐさま対応するデジタル部隊。現在はこれらも鮮度に陰りが見えていることが否めないものの、名物マネージャーが気まぐれでツイキャスを更新されていて、現場の一線の声がダイレクトに聞くことができるのもありがたいことです。当時は当日発表の販促イベントなど普通の生活を送っている社会人には到底不可能とも思える集まりにも一定の集客があり、後から画像を見て感心したことを忘れません。度々、自虐的に使われる「#高度な情報戦」というハッシュタグ。これあながち間違っていないかも…
周囲から軽薄、若しくは拒絶反応を向けられる「変態」というレイヤーの一面。
これは今までこの文章に目を通してきた方々の何割かが抱いたであろう感情を全身で受け止める覚悟と書いても大げさではないと思っています。具体的には「気持ち悪い」「低次元」「ミーハー」「悪趣味」など。総称すると社会人として自立し自信に満ちた人が感じているであろう違和感のようなものです。他人依存と言い換えることも可能かもしれません。実際にグループの活動を見守ってみるとこれらの感情は誤解に変換されると自分は確信している(彼女らの前向きな姿勢や謙虚さ、困難に立ち向かう態度を見て、自分も頑張ろうと奮い立つため)のですが、それでも拒絶する人種は存在していて、これはもう意見の相違という他では表せません。悲しいことですが…
むしろ、それを逆にプライドとして誇っているファンもいたと思います。そのような態度の方々は自称「ヲタ」と自身をそれ以外と明確に区別されていたように記憶しています。
グループ。そしてメンバー個人の成長、行動や環境の傍観者としての記憶というレイヤーの一面。
これはまさにいちファンとしての基礎情報ともなる一面で、同時に同じファン同士においてのコミュニケーションツールとして機能する知識でもあります。特に現地にて直に経験した情報などは希少性があり、例えもし少ない情報であったとしても時間をかけて蓄積されたその個体としての情報群は、対価に変えることのできない財産といっても差し支えないと自分は考えています。直筆サインの入った生写真や限定販売された希少性の高い品々などもここの中に区分されるかもしれません。総称はお金では買えないモノでしょうか。
上記の事柄は実際、内部にどっぷりと身を浸してみないとほとんど見えてこない事で、逆に今回のドキュメンタリー映画では普段の映像などから感じ取ることのできない内容で、評価できる企画であったと思う反面、執拗に結婚観や異性についての聴き取りに尺を使う所など所詮在〇に支配された洗脳メディアの考えつきそうな内容で強制的な俯瞰させられてしまい…
しかしながら、これすらも必然だったのかもと考えてしまいました。
添付画像は制作中の油彩画作品