本日は6月24日 山県市 慈明院さんの むじん会に参加してまいりました。
1時間の座学&薄茶二服
玄関をくぐってこのお花に迎えていただきました。 素敵だわぁ~
朝は涼しかったのですが、いやぁ~昼間は暑かった。
外気温34度とかないわぁ~><
何とか無事に一日を終え帰宅すると 息子がバイトも行かずゲーム中
今日は息子が生まれて20回目の誕生日。
誕生日は働かずのんびり過ごしたかった模様。
ケーキはいらないと言われていたのでご飯でも食べに行こうかと
汗だくだった着物を脱ぎ どろどろの化粧を落としてすっぴんで岐南町 江戸Yaさんへ
何でも好きなものお腹いっぱい食べさせて一杯だけカクテル(ほとんどジュース)を飲んで、帰ってまいりました。
あの先が見えない時期(不登校期)が終わり、ちょっとだけ先(通信制高校期)が見え
また少しだけ先(短大進学)が見え始めた時、少しだけ安堵しました。
私が離婚して18年 さみしい思いもさせたんだとは思うが
挨拶だけはしてと、言い続け、バイト先(近所のコンビニ&手羽先風来坊)にも顔をだし、
ちゃんと声だしてるか、挨拶できてるか心配していましたが、
コンビニのお客様のお店に昨日お邪魔したら、お店の板長さん 他ホールの方に
「ちゃんとあいさつもするし、愛想もよいし、会話ができる良い息子さんだね~」と褒めちぎられた。
お世辞が入ってるにせよ、ありがたかった。
勉強ができることに越したことはないけれど、挨拶ができて 会話ができていれば 生きていけます。
もちろん働かなければいけないけれど、働くことは人間関係が一番大事だと思って息子に伝えてきました。
すぐには何でもできないけれど、一生懸命やる姿勢や信用が大事と。
不登校のころから、ず~っと同じことを伝えてきたつもりでしたが
いつまでたっても心に響いてなくて息子からは「うるせ~な~」と思われていたんだと思っていました。
10日ほど前に息子から母の言葉は心に響いていたよといわれ、だから高校も行ったし、バイトも続けてるし、進学したんだと言われたときに
あぁ、あのイライラは無駄じゃなかったのだなと ほっといたしました。
今は調子よく学生生活も満喫しておりますが、いつ何時沈むかもしれないが、 私が生きてる間は このまま伝えなければいけないことを
言い続けようと思った今日でした。
ちなみに、離婚した当時の望みは 息子が20歳になるまで生きてることだったので、望みはかないましたw