第72話 鎌倉の御大【前編】
我が團創成期に應援團に在籍し、卒業後はそれなりの事業を営んでいた実家の家業を継がず一般の会社に就職。その後、独立し新天地を求め上京し会社を興し成功した先輩がいらっしゃいます。会社も軌道に乗り、やがて建築雑誌に取り上げられる様な豪邸を鎌倉におっ建て、我がOB会では副会長兼東京支部長の要職を長く務めておられました。人呼んで「鎌倉の御大」であります。
さて、この御大、一代でサクセスストーリーを成し遂げた方だけあって剛腹な事で有名でありました。一時期、我が團の夏合宿先が関東方面に集中した時代がありましたが、御大の太っ腹にありつこうとした当時の幹部の浅謀近慮の賜物であります。フラッと合宿を覗きに来ては豪華絢爛な差し入れを頂戴したり、合宿費がまるまる浮いてしまう様な金一封を頂いたり、といった成功体験が実際にあった訳ですが、御大の長期不在期間と合宿期間が重なったりして、目論見が水泡に帰す事が多かった様に思います。
ある日、平和な團室に御大より時の幹部宛に連絡が入りました。御大が用事で神戸に行く事になったので、久しぶりに母校を訪ねたいとの内容であります。電話のお話ですと昼休みに行われている練習も見学したいとの事で、新神戸駅に着く新幹線の時間を確認したのでありますが、
「11時くらいかなあ、、、」
との曖昧なご回答。短い時間ながらも電話でのやりとりから察するに余り物事をきちんと伝えない感じが伝わって来たのであります。来神が分かっている訳ですので、駅に出迎えを派遣する必要がある訳でありますが、「11時くらい」の解釈としては10:30-11:30というのが適切な解釈であろう、との結論に至り、当日は比較的、気が利く3回生を派遣することになりました。
「11時くらいかなあ、、、」
との曖昧なご回答。短い時間ながらも電話でのやりとりから察するに余り物事をきちんと伝えない感じが伝わって来たのであります。来神が分かっている訳ですので、駅に出迎えを派遣する必要がある訳でありますが、「11時くらい」の解釈としては10:30-11:30というのが適切な解釈であろう、との結論に至り、当日は比較的、気が利く3回生を派遣することになりました。
しかしここで問題が発生します。普段、関東で生活しておられる御大はOB総会等も滅多に出席されず、御大の顔を知っている現役團員がいないのであります。團室の写真を漁っても御大が写るものはなく、3回生團員の機転で乗り切れ、という世にもご無体な指令となっていた訳であります。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会