我が團は創設以来、硬式野球の応援を軸に応援活動を展開しておりました。昭和57年に関西大学野球連合が解体され、現在の阪神リーグが結成されました。1部リーグは6校で編成されているのですが、主な顔触れとしては大阪体育大学、天理大学、大阪産業大学、桃山学院大学、大阪経済法科大学といった大学でありまして、昭和50年代後半で応援団がある大学は我が校と天理大くらいであった事もあり、応援合戦になる場面はまずありませんでした。
そんな中、バレーボール部は同じく1部リーグで戦っていたのですが、会場の多くが我が校の体育館で行われておりましたので、交通費がかからない団費に優しい応援活動として、積極的に参加していた時期がございます。結構、回数は行っておりましたので、稀に珍事が発生致しましたので、ご紹介しましょう。
当時の関西の大学バレーはレベルが高く、1部リーグには強豪校がひしめいておりましたが、会場が遠方の神戸という事や応援団がバレーボールの応援に積極的ではなかった事もあったせいか、対戦校や前後の試合で、他校の応援団が来たという事は殆ど聞きません。
ところがある年、応援を終え道具を片付け團室に戻ろうとすると、体育館のロビーで整列する学ランの一団がいたのであります。何事らん、と事情を確認したところ、次の試合に出場する大学の応援団が駆け付けたとの事でありました。
当時、鎖団中の我が団は礼法に疎いところがありまして、直接の対戦校ではなく、且つ普段、全く付き合いのない初対面の同業者にどう対応すべきか経験もなく、とは言えその一団を無視するのも逃げた様に思われるのも心外であると苦悩するのでありました。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会