「かじか」に纏わるエピソードとしては、前回、御紹介した卒業アルバムが発刊された昭和34年~35年頃、我が團の團室機能が「かじか」2階にあったというものであります。
これも「かじか」が廃業した今、当時、現役團員だった先輩方の多くが鬼籍に入られておりますので、真偽の確かめようがありません。ただ團室機能があったとされる当時、「かじか」に出入りしていたとされる團員が在籍していた年代と、我が團が活動停止処分を受けていた時期がピタリと符合致しておりますので、あながち創作話とも思えません。
我が團は不名誉な事でありますが、昭和33年の暮れより昭和35年の春までの約1年半、当局より活動停止処分を受けておりました。應援團49年の歴史の中での第一回目の処分であります。よってこの期間は大学より認可を受けた団体ではありませんので、團室も一時的に使用できなかったものと推察されます。
また応援や各種セレモニー等、公式行事には参加出来ないにせよ、日々の練習や合宿等の團内活動は行っていた様ですので、團室の代わりになる場所は必要だった事でありましょう。
そう考えていくと、大学より数百メートルしか離れていない立地面からしても「かじか」は絶好の場所と言えます。
【右の道沿いにかじかがありました】
いずれにせよ今となっては事実確認が難しい逸話であります。
さて、平成4年に我が校文学部が「甲南大学キャンパスことば辞典」という資料を発表しておりますが、この中の「カ」の欄に「かじか」の記載があります。それだけ学生生活に溶け込んでいた証左であると言えましょう。ちなみにこの辞典には應援團に関する記述はありません。残念ながら應援團は「かじか」程は学生生活に溶け込んでなかったのでありましょう。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会