無事、贈呈を終え、席に戻り後続の團の贈呈の模様を見学しておりますと、「立命館大学」が呼ばれる頃には「そろそろ終わりかな」と思ったりする訳ですが、立命館大学應援團の幹部が贈呈を終えると「続きまして近畿大学應援團本部様」と呼ばれるではありませんか。
「なぬ?リ、の次がキ、やと??」
と驚きつつも、
「うーむ、ここの團の若い衆は50音も怪しいのかもしれん」
などと思ったりもしますが、よくよく考えると贈呈の冒頭、「英知大学」の前に先頭を切って「大阪商業大学」が登壇していた事を思い出します。益々、頭が混乱します。
後で乱舞祭に行き慣れた同期に聞くと、当時、関西では桁外れの交渉力を持った龍虎として近畿大学、大阪商業大学の2校が業界では勇名を馳せておりまして、乱舞祭の折もしっかりと交渉なさっていたそうであります。乱舞祭の記念品贈呈を場を紅白に例えるなら、今、最も勢いのある実力派が先陣を切り、大御所が最後を締めくくる、という感じでしょうか。
読み上げる主催者側の司会も読み間違えては一大事でありますので、確実にゆっくりと読み上げます。ただ関西の場合「應援團本部」を名乗る團、「應援團総部」を名乗る團などがありますし、体育など旧漢字で書くと読めない恐れのある大学もあります(体育→體育)。しかも読み上げる原稿はそういった各大学の應援團の正式名称が書き連ねてあるだけの一見、漢文風のそれであります。
大観衆の前で読み上げる緊張、読み間違えてはならぬというプレッシャー、加えて漢文の原稿、という次第ですので、しっかり聞いておりますと、結構、間違っておりました。
ある時など「大阪商業大学」を「神戸商業大学」と誤読し、訂正していた團がありましたが、その後、どうなった事でありましょう。
未だに関東の應援團関係者に過去のエピソードとして披露しても、なかなか信じて頂けない話の一つであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会