さて、トシオくん、昭和33年、藤尾五代目体制になりますと2回生に昇格します。
引退・卒業した四代目幹部は15名という歴代屈指の團員数を誇る代でしたので、五代目体制では團員の確保が至上課題でありました。
勧誘は主に2回生、3回生の仕事でありますが2回生のトシオくんは張り切って多くの新入生を勧誘します。これが後の八代目幹部となる訳ですが、八代目幹部からはOB会 倉多二代目会長、明坂四代目会長、村井会長補佐を輩出する事になり粒揃いの代となる訳であります。
我が團は新入生を迎え30名程度の所帯になった訳ですが、当時の応援団業界の趨勢を考えると小規模な應援團であったと言えましょう。2回生でも様々な團務の補佐を命じられる様になります。
トシオくんはその適性を鑑み、渉外担当見習を拝命致します。渉外とは他校應援團を始め外部団体との窓口役であります。胆力もあり、弁舌も立つ彼にはうってつけでありましょう。
ただ懸念事項としてはその血の気の多さでありまして、どんな緊迫した場面でも常に沈着冷静であり、例え声を荒げるにしても一つの計算された話術でなければなりません。この辺りの修練を積めばトシオくんの交渉能力は飛躍的に向上するでありましょう。
応援会場では試合前に対戦する應援團同士が打合せを行い、團旗掲揚やエールのタイミングや順番について調整を行う訳ですが、かつてはここで結構、トラブルに発展するケースがございました。
特に関西地区は伝統的に武闘派を自認する應援團が多く、応援会場での大小様々なトラブルは、日常茶飯事でありました。【以下次稿】
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会