全日本学生応援団連盟主催の連盟祭は今年で66回目を数える歴史ある行事でございますが、現在の運営スタイルは複数の大学から役員を選出し、共同して企画・運営を行っておりますが、かつては本部校に立候補した1校で全てを行う事になっており、大変な労力が必要でした。その分、本部校を務めることはその團にとって大変名誉なことであり、自團の勢威を示す事が出来た訳であります。
前稿でご紹介した通り加盟校は関東の大学が過半を占めておりましたので、関東で開催される事が大半でございましたが、中には他地域でも開催される事もあった様であります。
我が團の先輩方の中で名古屋で開催された連盟祭に参加した事を記憶しておられる先輩がおられました。当時、東海地区だけでも複数校、連盟に加盟している大学がいらっしゃいましたので、大いに考えられる事であります。
その時は、主管校と思われる大学が手配した宿に関東、東北、関西から駆け付けた應援團が分宿したそうでありますが、関東の大学同士であれば普段、交流があったり応援会場で顔を合わせたりで面識がある事も珍しくないのですが、地域が跨ると学ランの形やバッジでどこの大学かを判断し、立ち居振る舞い等で学年を推し量る難しい駆け引きがあった様です。
お話を伺った先輩は当時、2回生だったとの事ですが、大浴場に入ったところ、「押忍!お背中、お流しさせて頂きます!」と主管校の下級生團員が背中を流し始めたので、「ワシ、2回生やぞ」とは言い出せなかったとの事であります。
先方にしてみれば、下手を打ってはいかん、とばかりに見慣れぬ顔の團員は軒並み上級生という想定で対処をしていたのでしょう。
また夜になり、同期と示し合わせて色街に出かけてみると、東京に比べ街の規模が小さい名古屋ですので、色街は学ランだらけで、街のあちこちで「押忍」「押忍」の連呼、すっかり遊ぶ気が失せたとの事であります。
大学應援團の勢威盛んなりし頃のエピソードであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会