第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【13】
前回までご紹介した演武、乱舞の原型復元作業を通じ森下副團長のリーダー部としての自我は完全に目覚めたと言えましょう。この頃からそれまでの暢気で優しい先輩であった氏が求道者として豹変するのであります。
練習でも率先して幹部であるにも関わらずリーダーに立ち、下級生と同じ練習メニューをこなし、練習後も一人、住吉川でランニングに励んだり、と誰よりも練習の鬼と化しておりました。暗くなってから團室に煌々と灯りがついていると思えば、一人で32代目芹生リーダー部長の演ずる演武や乱舞のVTRを繰り返し見ていたりしております。
氏の同期の他の幹部も他の面で改革者でありました。リーダーに限らず應援團の原点回帰をテーマにOBの話を聞いて回ったり、過去、行っていた活動の中でいつしか伝承が途切れたものを拾い集め、可能な範囲で再現せしめたりしていたのであります。
その一方で新たな活動の場を求め、例えば神社関係のイベントもそれまで生田神社を中心に活動しておりましたが、新たに湊川神社での活動に取り組みました。その年のNHK大河ドラマが「太平記」で、同神社が注目されていた事も大きく影響しております。
その他でも神戸市や大阪市の地方自治体主催のイベントへの参加、社会人野球の応援の腕貸し、等々、毎週、何らかの行事があるという盛況ぶりでありまして、おそらく応援歌のリーダーを公式の場で演じた回数は森下副團長が歴代の中でもトップであるかもしれません。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会