第8回 求道者 森下暢夫(三十七代目甲南大學應援團副團長)【4】
ここまで森下副團長に関してどちらかと言えばネガティブなイメージを書き連ねて参りましたが、彼は4回生の折、「乱舞の集い」において本来はリーダー部長が演ずるべき「應援歌」と「乱れ八拍子」を演じます。
この折、発足後間もない吹奏楽部を主演させる事になって為、しばらく「乱舞の集い」から足が遠ざかっていたOBが多数、来場しました。また團員減少の為、演目数を減らさざるを得ず30代目以降、他校應援團の「乱舞の集い」へのご招待を控えさせて頂いておりましたが、37代目より再びご招待申し上げる様になりました。7年ものブランクがありましたので、他校應援團にとっても甲南大學應援團と言えば書状のみの付き合いで実際に見た事がないという團が多く、珍しもの見たさで多数、来場頂いたのであります。また夜の三宮が何よりも好きというロス・プリモス的な生活を営む幹部が多く、夜の蝶達も会場へ押し寄せ、芦屋ルナホールは空前の満席で立ち見が出る程でございました。
その大観衆の中、森下副團長は不朽とも言うべきリーダーで上記の2題を演じ上げたのであります。「乱れ八拍子」に至っては史上最長の27分の熱演でありまして、当時、他校でもこれ程の使い手はいなかったのではないかと思われます。
【應援歌】
そういう森下副團長でありますので、下級生時代からさぞストイックな姿勢で、リーダー部道に一意専心、邁進していたのでは、と思われがちでありますが、実際にリーダー部としての自我に目覚めたのは3回生からであると見られます。無論、下地となる基礎鍛錬は1~2回生の期間、みっちりと積み上げて参りましたが、最後は心意気の部分が、演武の良し悪しを大きく左右致しますので、その部分は3回生、4回生の時代に培われたものなのであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会