長い歴史の中では1名や2名の代というものがありまして、1名の代などは必然的にその者が團長になるという訳であります。48代の中で4名、そういう團長がおります。しかし危機感故か一人幹部はしっかりしていた様に感じます。
また2名の場合でも必ずしも親衛隊出身者が團長に選ばれる訳ではありませんでした。2部体制になった21代目以降、7代がこれに該当しますが、親衛隊出身4名、リーダー部出身3名と拮抗しております。中には2名共、親衛隊という代もありますので、実質上、同数と見て良いでしょう。
結局のところ、團長はその者の器量、人柄で決められるという事になります。以前もご紹介した通り我が團の幹部人事は全て先代幹部が決定します。数名から十数名という中から、誰がどの役職に相応しいかを決めてゆく訳ですが、やはり3年間、接してきただけあってなかなか的を射た人事が多かった様に感じます。
幹部人事を決めるにあたって実務上の問題から決めてゆく手法がございます。几帳面な者を幹事長や会計部長、総務部長に、リーダーが巧みな者をリーダー部長に、といった具合でありますが、それでいくと残った者が團長という事になる訳でありますが、この場合でも最後の段階で全て見直しが入ったりする事もあり、やはり團長人事は大事なのであります。
元来は競技場に押し寄せる多くの学生達をリードする事を主たる目的として結成された団体の長でありますので、大勢の者を総べるだけの人格的魅力が必要でありました。無論、状況が良い時ばかりではありませんので、時には混乱する中を一声で纏め上げるだけの人格的迫力も必要でありましょうし、全体の和を乱す様な者がいれば説諭出来るだけの弁舌、体力が必要でありましょう。
應援團はある時期、メディアを通じある一面だけを誇張されて世に喧伝された歴史がございますので、現実とは異なる部分が多々ございますが、應援團團長という者は競技者ではございませんが、特定の技能や風貌、体力といったハード面よりも、大軍を総べる人間力が問われる極めて難しい職責であると考えます。
こういった点を踏まえ、スケールの大きな人間を養成できる、そんな機能が應援團には不可欠でありまして、そういった組織作りを推進していくべきでありましょう。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会広報委員会