昭和30~40年代のお話でございます。当時は年に3度、合宿がございまして、春の淡路島合宿、夏の小豆島合宿、秋の箕面勝尾寺合宿であります。
当時は40~50名の團員を誇る第二黄金期でありましたし、全国的にも應援團全盛の時代でありまして、他校に後れを取ってなるものかという気概に溢れていた時代でもあります。
当時は今の様に体罰とかイジメとかという問題が騒がれる様な世相でありません。大學應援團の合宿は熾烈を極めるのが一般的な姿でございました。
脱走者を防ぐ意味で好んで島で合宿をしていたという側面もございますが、やはりこの時代の先輩方は斯様な試練を乗り越えて来られた精鋭揃いでございます。合宿を経る度に精強さが増していっておりました。
その地獄の合宿の楽しみと言えば、当時で言うところの「トルコ 」でありました。合宿から帰って参りますと、團室に團旗や太鼓等の用具類を片付け、下級生は幹部よりトルコをごっつぁんになる事が出来たのであります。
今でこそ神戸のソープランド街と言えば福原でございますが、当時はJR三ノ宮駅の南側の旧新聞会館裏、終戦後、国際マーケットと呼ばれた闇市の跡地にもトルコがございまして、團員は三宮と福原に分かれて、合宿の垢を落としに行っていた訳であります。
当時からよく利用されており今でも営業されているお店が1軒、福原にございます。その名も「いろは 」と申しまして、かつては高級店も多かった福原でもリーズナブルなお店だったのであります。
昔からそうでありますが、このお店はコンパニオンの方が全てプロ野球選手の名前が付けられているのが特徴でありましょう(HPを見る限りも今もこの伝統は生きている様であります)。
しかしやっとの思いで合宿から帰って入ったトルコで、出て来たのが衣笠とか安仁屋とか川藤とかでありましたら、その團員の心中は察して余りあるものがございます。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会