甲南大學應援團 リーダーの起源【2】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

前稿 よりの続きでございます。創團当初、關西學院大學應援團關西大學應援團 のご協力を得ながら、ようやく我が團におけるリーダーの型の原型が固まって参りました。創團当初、リーダー部を支えたのは初代から3代目まで3期、リーダー部長を務めた子師仁先輩(3代目)であります。子師先輩は長い手足から繰り出される豪快な振りと爆雷の如き大声が特徴で、リーダー部長に相応しい人物でございました。また非常に研究熱心で、關西大學應援團のご友人にコーチを依頼し研鑽を積んでおられました。

【硬式野球の応援風景(昭和31年 於:西宮球場)】
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創團当初は後年の様に乱舞祭をメインとするのではなく、硬式野球の応援が活動の中心でありましたので、野球の応援で使用できる型が真っ先に開発されたのも当然の成り行きでありまして、いくら基本を両大学の應援團に教えてもらったところで、型は各校オリジナルのものであります。我が校の型をどうするかを考案する必要があった訳でございます。昭和30年に入團した桂克弥先輩(後の3代目リーダー部長)が非常に創造性に富んだ方で、様々な型を考案され、子師リーダー部長が応援会場で演じるという体制が出来ました。従来の手を叩き足を踏み鳴らすだけの原始的な応援から、子師リーダー部長の指揮下での統率のとれた応援スタイルに移行し、それにより大いに我が校陣営の士気を高揚せしめたと伝えられております。

余談ではありますが、子師リーダー部長は野次の名人と言う横顔もお持ちでありまして、持ち前の大声で巧みに野次を飛ばし、我が校のスタンドでは腹を抱えて笑う観客が多数おりました。時にはプレー中の選手まで吹き出す事もあった程であると言われております。戦後間もない創團期のエピソードではありますが、試行錯誤を繰り返しながら、徐々に我が團のリーダーも精錬されて参る訳でございます。【以下次稿】

【子師 仁初代リーダー部長(3代目)】
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