本山村怪々奇團【1】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

本山村 とは明治22年(1889年)に誕生した村の一つで、最初菟原郡、後武庫郡に属し、昭和25年に神戸市東灘区の一部(本山地域)として編入されました。この本山村の中に岡本という在所があり、この岡本に甲南大学がございます。

そして甲南大学には應援團という実に風変わりな男達の集団が棲息致しておりました。應援團というところは絵に描いた様な縦社会でありまして、日常生活の実に細かいところまで色々と規定されております。新人は箸の上げ下ろしまで気を遣う生活を送る訳でございます。

しかし新人團員とは申せ、ついこの間まで高校生(ないしは浪人生)であった訳でありまして、人生修行がまだまだ出来ておりません。先輩の数々の指示に対して頓珍漢な反応を見せるのも止むを得ません。もちろんやっている本人は至極真面目と言うよりも必死なのでありますが、それ故に面白く團室は笑いが絶えない場所でもありました。

 

そういった微妙な空気を、私共の拙い文章で何処までお伝えできるか甚だ自信はございませんが、人間味と愛嬌に溢れる生の應援團員の愛すべき生態を広く知って頂ければ、と愚考致す次第でございます。

 

思い出しながらの不定期連載になると思いますが、宜しくお願い申し上げます。またOBの皆様のご投稿をお待ち申し上げております。

 

【第1話 すき焼きの卵】

 

ある時、幹部の一人が團のコンパをしようと言い出し、手配を下級生に命じました。店選びは幹部の先輩の意向を汲んで場所や料理が決められる訳でありますが、この時は三宮の有名な某すき焼き店を要望されました。

店まで指定頂きますと、手配は極めてスムースでありまして、過ちが起こる事がありません。ただ問題は有名店でもあり、食べ放題という訳には参らず、見た目は30-40歳の老けた幹部も実年齢は22歳前後でありますので、満腹になるかどうかという点にありました。そこで一計を案じ、すき焼きと相性の良いご飯を宴の最初からお出しし、腹を膨らませて頂こうという事になりました。

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」
宴が開始されますと、1回生は手分けし、先輩方のグラスへ酒をお注ぎする者、鍋の用意をする者、そして今回の目玉、御櫃のご飯を茶碗に盛る者、と其々の役割をこなします。

鍋は食べられるまで少々、時間を要しますので、抜かりなく前菜が各自の前に置かれており、幹部がおもむろに前菜に手をつけ、三回生に「食え」との指示を出します。こういう場合、下級生は1年上の先輩が箸をつけるまで、何も食べる事が出来ないからでございます。

ようやく1回生のところまで食べて良いとの指示が出る頃には、幹部は2切れ目の肉を口に運んでいる頃でありますが、食べて良いのは前菜だけで、まだ2、3回生が箸を付けていない鍋に箸を入れることなどできません。

 

その時、勢いよく卵を割る1回生がおりました。一番遅く入團した者であった事もあり、2回生から小声で「まだ早い」との注意が飛びます。「押忍」とのしっかりした返事をした割には割った卵を一生懸命といておりまして、不安になった同期が更にすき焼きはまだ食べてはいけない旨、窘めます。

「分かっとる、心配すな」との言葉に若干に不安を残しながらも、その同期はグラスを干した先輩のところに慌てて飛んでいきました。そして席に戻ってきた同期の目に飛び込んできたのは

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」
見事な卵かけごはんでありました。異変を察した3回生が

「お前は何をしとるんじゃ?」

と問い質すと

「夕飯に生卵を出されてもご飯にかけるしかないからであります!」

と胸を張り明朗快活に答える1回生。その場にいた者はしばし呆然とし、その後は大爆笑の渦と相成った次第であります。まさかすき焼きを食した事がない者がいるとは思いもしません。その後、その1回生は3回生より直々にすき焼きの食べ方を指南頂き、また一つ大人になった訳でございます。

 

こういう話は結構ありまして、焼肉屋でユッケの食べ方が分からず、網に乗せて焼こうとした者、ざるそばのつゆを直接そばにかけテーブルをつゆびたしにした者、初めて使うナイフ・フォークに苦戦する者、意外と人の事は笑えません。

 

八代目甲南大学應援團OB会

團史編纂室