セルムです。

群馬県議会選挙が終わりました。いつもの様に「街宣車」が周り「手を振って、ミニ集会で握手、拍手、演説、万歳」があって、「再び権力を握る」そして県民(市民)にそ知らぬ存ぜぬ。

【群馬県議会】


今回の県議選は、6選挙区「無投票当選(沼田市、渋川市、安中市、みどり市、佐波郡、甘楽郡)」がありました。それは民主主義の崩壊です。選挙すらままならず、「立候補者」が当選するとは…選挙は税金が掛かりますが、「無投票は独裁政権下呑み」ぐらいで「本来民主主義国家は無投票であってはならない」。町村は立候補する際に、供託金が必要ないので「0円」で立候補できます。それで町村議員になって「権力振るえる」のですから、「ラッキー」ではありませんか?
群馬県高山村で立候補者がいないという新聞記事を呼んだ時に「住所を移して、落下傘候補」になろうと迷いました。群馬県昭和村の時もですね。町村では、「輪番制化して出る候補を一元化」してる様です。「農家からと」それは「暗黙の了解」なのでしょうが、それは「古き昭和的な地縁の繋がりで「無風」に至ること」は、当たり前です」。

【群馬県議会選挙区】


群馬県は、「自民党帝国」です。それは善くも悪くもですが、「選挙の度にいつもの顔ぶれが決まる「循環」しない選挙」にどんな「意味」があるのか?不思議です。

道州制導入は必要です。47都道府県も必要ありません。地方自治体はコンパクトになるべきです。議会選挙すら成り立たないですから、「廃県置州」の導入なのです。

私はいつも「立候補したい」と思います。友達に囃し立てられる以前から、障害者が立候補をする意味は「民主主義国家社会」でとても重要だと思います。国家が成熟していれば「身体、知的、精神、発達を問わずたくさんの障害者議員が既に誕生」してることでしょう。しかし、群馬県は女性県議ですら数人。「女性が輝ける社会」とは何でしょうか?「男性の社会進出を育児や主夫に充てる」ことこそ「可及的な必要性」を感じます。

国家、制度、法律、憲法、そして価値観や世代は、その時の時間軸でいくらでも「変えられるべき」だと私は思います。

明治から150年を経た日本は、それほど成熟していないのかも知れません。

4月1日、新元号「令和」発表です。

5月1日、皇太子殿下の即位の礼で、今上陛下誕生し、改元「令和元年」のスタートです。

明治、大正、昭和、平成、令和。

日本が「真の意味で成熟し、寛容な国家」に育つこと」を祈る。

群馬県議会選挙から、国家の話に逸れる辺りが、自分らしい。