○激動の幕開け
日曜日の深夜、就寝中、突然強い腹痛を感じて眼が醒めました。しかし周りがみえない。部屋を暗くしてるからではありません。眼を開けてるのに「真っ白」…でも耳は聞こえる。
這いながら、隣の部屋で母が就寝中であろう事はわかっていたが、戸を叩いて起きてもらい。
私:「眼が見えない…腹痛が酷い…」と訴えた。我が家は2階建てで、私の身体を高齢の母が、階段から下ろすこともできない…。私は1秒でも早くトイレに行きたくて、眼が見えない状況の中手探り階段を転げ落ちる様に落ちて途中で引っ掛かかりました。私の声や母の声で、1階に就寝中の父が襖を明けて階段の途中で引っ掛かった私を高齢の両親がなんとかずり落としました。私はまだ眼が見えませんでしたが、なんとかトイレに入った感覚を感じて、いざ便座に腰を上げようとしたが、まったく力が入らない。
ダメだ❗
限界だと覚り❗❗
横になった状態ですべての排泄物を垂れ流しました。意識は、はっきりしていて、始めは固形物の便が出た感覚があり、そこから軟便から水溶便に近い様な感覚が長く続いたのを覚えています。その間に母は、私のパジャマを下ろし、下着も下げたがすべて間に合わず、トイレの中は便座の周りに大量便が溜まりました。排便が終わったことで、眼が見え始め…父の呼び掛けに応えらる余力が出て来ました。一難去ったからだったのか…しかし母は、便の片付けをしつつも救急搬送の電話を掛けてました。私の「精神疾患」を疑い…救急に問い合わせた際、即精神疾患である事を伝えてしまいました。
○激動の攻防
そうこうしてるうちに救急車が到着しました。
私は意識がはっきりしてるので、再び腹部に激痛を覚えました。まだ手足が自由に効かない。
眼は見えたり見えなかったりの繰り返し、救急隊員が玄関の前に三人居て、手前の身体の細い隊員が優しく声を掛けた。「大丈夫!?」その後ろに身体の大きな隊長さんと思える救急隊員ともう一人更に後方に隊員を見掛けた。三人の救急隊員に「大丈夫です…でも眼が見えません…見えたり、見えなくなったり…あとはお腹が…」と訴えました。まだ私は横になっています。また排便を感じて、父の頻回の為にポータブルトイレを入れた我が家「それを両親に持って来てくれ!」と叫びました!トイレの中はどえらいことになっている事は想像できたので渾身の力を込めてポータブルの便座に座れました。しかし、横になりたくて…もう疲れて意識があっても阿鼻叫喚的な感情でした。隊長さんらしき救急隊員は「横になったら便が出て家が汚れてお母さんがたいへんだからガマンしてポータブルに座って!」と大きな声で私に伝えました。私もそりゃ貴方の言ってる事はごもっともと理解しました。
が、私:「ポータブルじゃなかなか出ないし、座ってるだけでも苦しいし…声がデカくて耳に響く」(隊長の声)と訴えました。
手前に居る救急隊員の方が父に「ポカリスエット」はありますか?と伝えると母がポカリを持って来て、手前の救急隊員が「5分置きに少し飲んで下さい」と私に伝えました。眼が見える時は隊長さんらしき救急隊員ともう一人の隊員が私の受診先の病院と連絡を取ってました。私は月曜日が祝日だと云う事を完全に忘れてました。私はシフトで働いてるので平日だと思い隊員の方々の話で当直医の話では眼が見えない事はあると私に教えて下さいました。私がポータブルで悶絶しながら堪えてると、再び排泄物が出て次は吐き気がすると母に訴えました。手前の隊員の方が「もしかすると嘔吐する可能性が高いから桶か何か用意して下さい」と母に伝えるとお風呂場から桶を持って来てくれて私に渡しました。しかし眼が見えません。吐き気の波が何度か来ると桶に吐き出しました。すべて吐き出すと再び眼が見えて来ました。私は、桶の中の嘔吐物を凝視しましたが、固形物や水溶性もなくシャーベット状でした。
私は精神疾患と緑内障それに聴覚過敏症があります。精神疾患か緑内障か…何の症状から来たモノなのかは結局、私は搬送されなかったのでわかりません。受け応えもできると判断したので搬送の必要性は薄いと思ったのかも知れません。救急車内をゲロまみれにされるのも困った可能性もあります。ちなみに救急隊員が母に精神科病院では祝日でも受け入れる事はできるとのことで車で連れて行ってあげて下さいと伝えて現場(我が家)を去りました。この間、2~3時間ぐらいに思いました。外はやや明るくなり始めていました。救急車の赤色が見えました。
母がトイレ内の便はクイックルですべて取り除き、雑巾も使って処理しました(後日、トイレや玄関等の廊下も更にきれいにしてます)私はこの間下半身はもちろん露出状態で、母親に便まみれになったお尻を拭いてもらったのは多分…子どもの頃以来でしょう。この頃には新しい下着を履かされてとりあえず汗も大量にかいてるので、浴室で、シャワーを浴びるつもりでしたがまったく気力がなくなりとりあえず汚れた上のパジャマや下着を脱いで有り合わせの冬様パジャマに着替えました。上も下も出るモノ出たら身体もなんだか回復してきて、暫く父が寝てる部屋で布団を敷いてもらい横になってました。夜中の激動と攻防があったのにも関わらずお粥を食べることができました。しかし微熱が上がり仕事は休まなければならなくなりました。部屋には自力で戻ることができ母に氷枕をセットしてもらい、以前、彼女から貰った冷えピタ頭に貼って床につきました。お昼は食欲は沸きませんが、食べる事はできました。月曜日は微熱との戦いになりましたが、回復し翌日の火曜日は、精神科病院の受診に行きました。しかし、自らの力では行けず乗せて行ってもらいました。精神科の先生は、すべて精神疾患に結びつけることは好ましくないと注意しました。でも眼の症状は気になるから眼科行ってみてといわれて、少しムリしてその日のうちに行くのですが…眼科医師が眼が真っ白は問題ないけど、真っ暗はヤバいと話してました。何がどうヤバいのかは気力尽きて聞かず…聞いた所でその状態でないと内科に行っても意味ははないと、精神科の先生からも聞いていたので、いつもの緑内障の薬を出してもらって帰宅しました。
○激動の終結
眼が見えない…この症状が時折起きる現象は、7~8年前から起きてます。大概2年に一回です。
必ず腹部通から眼が見えない(真っ白)です。今回どうしても眼がどうなってるの知りたくて後日病み上がりの身体で消防署に出向きました。後に電話で連絡を受けるのですが、救急隊員は「眼が開いてませんでしたよ」と教えて頂き非常にショックを覚えました。瞼を開けてる感覚があるのです。瞼は閉じられていても眼球は開いてる感覚が何年も続いていた真実に驚きました。この真実が今回だけなのか?ずっと前からそうなのか?過ぎてしまったのでわかりません。でも多分、今回救急隊員が話して下さった通り、瞼は開いてないと思います。パターンが同じだからです。そうなると眼や精神疾患の問題ではなく脳や神経伝達の問題を疑いたくなります。
水曜日と木曜日に二回勤務先に電話して完全復帰するまでの休みを頂きました。
原因不明ではありますが、明日から仕事復帰です。
とりあえず1週間の休み(ブランク)はやはり大きいので、暑いし熱中症に気を付けながらムリしない様に働きたいと思います。

【階段から落ちて来た時にできた左の腰傷(現在)】



【トイレ(排泄物にまみれた床(想定箇所))】



【救急隊員に、諭された玄関からの廊下(ポータブル設置想定箇所)】



【父の介護保険で導入した我が家のポータブルトイレ】


P.S.
救急隊員の皆さん、声をかけ続けて下さっただけでも、非常にありがたかったです。人間は、弱い生き物です。瞼が開かない私が「介護職員だと話していたのを覚えてますか?」医療や介護の現状を多少は理解してます。私も施設では現場で勤務することもありましたし、それは今後もあり得るでしょう。だから隊員の皆さんを尊敬してます。本当にお世話になりました。