横浜から新幹線で豊橋までは快適そのもの。駅弁もコーヒーも完璧。だが、そこから乗り換えた飯田線は、まるで時空の裂け目。たった3両編成、乗客は僕と謎の釣り人だけ。車内はがらーん、外は枯れ木と枯れ草、駅員のいない駅をいくつも通過。踏切がカンカン鳴るたびに、昭和の香りが濃くなっていく。

そして、たどり着いた町。迎えに来てくれたのは総務部課長・山田さん。50歳そこそこの快活な紳士で、話し出すと止まらないタイプ。社宅への道すがら、「買い物はあそこ」と指さされた先には、トイレットペーパーとバケツが積まれた食料品店。都会では絶滅危惧種の“昭和型商店”だ。

「酒もあるよ。関谷酒造の『空』ってやつ。常連になれば奥から出してくれるけど、一見さんには出さないだら」 と、山田さんはドヤ顔。地元ルール、なかなか厳しい。

床屋はあそこ、その他の買い物は町まで電車か車。食事は?と聞くと、「作ってください」と即答。都会の便利さはここでは通用しない。

社宅に着くと、そこはユネスコ文化遺産候補。トタン屋根に土壁、板張りの床。屋根にはアンテナが針金で引っ張られて立っている。昭和のテレビドラマに出てきそうな家だ。しばらく使われていなかったらしく、山田さんが掃除してくれたらしい。彼の社宅は二軒隣で、庭にはネギが一畝。去年はキュウリとトマトと山芋を育てたらしいので、僕は「夏になったらトマトをもらおう」と心にメモ。

その日は彼の車で町まで照明器具やテーブルタップを買いに行った。昭和の町に平成の電化製品を持ち込むという、時代の融合。

この町は赤石山脈と美濃三河高原に囲まれた谷間にあり、豊川が流れている。子供の頃住んでいた秋田の横手市を思い出す。川があって、山があって、トンボが飛んでいた。都会で忘れていた風景が、ここには全部ある。

朝は雀の声で起きる。家を出ると、ゴミ出し中のおばさんと畑仕事中のおばさんが立ち話。通りかかると「いってらっしゃいませ」と声をかけられ、「おはようございます」と返す。交差点では駐在所のお巡りさんが「もう出勤かい、たいへんだね」と声をかけてくれる。以来、毎朝の情報交換が日課。天気、祭り、空き巣情報まで網羅。

夜道は静かで、自転車の女子中学生が「こんばんは」と声をかけて通り過ぎる。町の人口は数百軒。つまり、僕の顔と名前はすでに全町民にバレている。

都会では味わえない、濃密な人間関係と昭和の空気。出向先は、まさかの“昭和テーマパーク”だった。