小林雄次さんの「脚本家という生き方」という本を読みました。

ブログ読書感想文コンテストという素敵な企画も用意してくださっていて
その期限が迫っているため、あせってブログを書いている次第です。(汗)


小林雄次さんを知ったきっかけは弘中さんが主催をされた
シナリオ発送源に参加したこと。

弘中さんのM&C研究所
http://m-c-ken.net/mailmaga.html


ビジネス発想源ブログ

http://blog.quizzing.jp/


そこで小林さんの著書を購入して今に至ります。


この本の印象は小林さんのプロ論であるということ。


そして小林さんがどのような人間であるかという自己開示の本。


そしてファンタジーとは何か?が書かれた本だということ。


その中でも一番、自分がぐっと惹かれたのが幼少期の話。


自分と重なる点があるからだ。


小さい頃にいじめられた経験がある子だけが持つのかもしれない

感覚が共感できた。


まわりから拒絶される、否定されることによって、強制的に自分の

中に中に入っていく感覚。


自分と対話をしていく感覚。


自分には生きている価値がないのかもしれないという気持ち。


でも、そこから脱出することができたのは私の場合は国語の

授業で演じた夕鶴だった。


感情を表にださない私がそこでつうの台詞を使って、自分の

感情を隠すことなくだした。


そこからだ。


クラスのみんなの態度が変化したのは。。


他のクラスメートに一目置かれる力がそこに間違いなくあった。

確信が自分にある。


人から褒められることもそう。


自分を認める、認めてもらう経験が人にとってどれだけ必要なのか

自分の体験を通して認識した。


小さい頃、人の2面性が大嫌いだった。


人の心が写せる鏡が心の底から欲しかった。


クラスメートから無視をされ続け、自殺を考えたこともある。

結局は悲しむ人がいるから自殺はできなかった。


でも、今にして思えば、2面性があるからこそ、人間なのだ。


夢と現実。。生と死。。


小さい頃に体験して心の中で確信したことは今、自分の中で

きちんとした形になり、自分の核となっている。


今まで自分におこってきたことすべてが私の糧であり、

私の財産だ。


それは私にしかできない経験であり、それからできた核は

私にしかないのだから。


もっと書きたいのだけれど、時間がせまっているのでここまで。


これからもずっとこれについては少しずつでも書いていこうと

思う。


GW中に卒業公演を終えて、夢への行動は一段落。長いようで短かった1年半。


平日は普通に企業で働き、週末の2時間だけの演劇のレッスン。


自己解放のレッスンから始まり、自分とは?という問いかけをずっとしてきた1年半だった。


この卒業公演で何かが見えるはず。。。そんな想いで練習を積み上げた。


高校生のときの文化祭で演じた劇。


素人の高校生集団で作り上げたものだったけれど、想いがかさなって、ぶつかりあい、

けんかし、励ましあい、創造の喜びを体験した。


そして自分たちが創造した世界が見てくださった方々の共感をよび、その場でたくさんの

人が涙する姿を目の当たりにした。


人の共感力の強さに心が振るえ、そして自分の中にある何かが動いた。


その何かを心の奥にずっと抱えたままずっと生きてきた。

できない理由をつけ、そして損得や価値判断基準が自分の素直な心とは別のところにあった。


父の死を経験し、それを開放しようと決心して、ここまできた。


それが何かを表現するのは難しいのだけれど。


それは自分の魂の言葉なのではないかと思ったりする。


それを虚構の世界で自分の体と心で精一杯表現する。


現実の世界にひしめいているたくさんの感情の形が凝縮されている舞台という

世界で、自分の魂の言葉をつかって表現する。


舞台を経験して確信したのは、舞台には自分のすべてがさらしものにされるということ。

ごまかす余地は全くできない。


とても怖い。。。


でも、集中をしてそれを突き抜けると、これがフロー状態なのかなという経験もできた。

集中とリラックスがバランスよく共存し、自分がよくみえる。 


虚構の世界のなかで自分は確かに感情豊かに生きていた。


自分ではこの確信があっても、それがどう人の目に映るのかはわからない。


自分を応援してくれた人の率直な感想を聞いて、確信が外れていないことを知った。


わざわざ忙しい時間をさいてくれて見に来てくれたたくさんの友達に感謝。


一緒に笑いあえる仲間がいるからこそ、がんばれる。


夢にむかってこれからも少しずつ着実に進んでいこう!


そして仲間をもっと応援できるように自分ももっと成長しよう。







演劇のレッスンの際は浴衣でおけいこをするのですが、

浴衣だと動きが制限をされる。


浴衣だと袖が邪魔になったり、歩く歩幅が狭くなったりと

動きに制限が出る。



制限があるから動きがゆっくり優雅に動ける。


洋服ってどんなに自由なものなのかを実感するけれど、

美しさは制限のあるところに生ずるんだと思う。


洋服はそれを着ている状態が美しかったりするのだけれど、

着物の凛とした姿勢などは制限があるからこそ。



江戸時代の所作もふすまにたたみの生活だから

座ったり立ったりを頻繁にする生活。


お客様にお茶を出すのにしてもいまであればドアを開けて

お茶をだして退出というシンプルな動作だけれど

江戸時代は座ってふすまをあけて、中に入り、ふすまをしめ、

そして座ってお茶を出して、たってふすまのところですわり

ふすまを開けて退出、座ってふすまを閉める。


ふー、書くだけで疲れます。。(笑)


お客様にお茶をだすことでもたくさんの手間と時間をかけている

んですね。


心のゆとりもこういった手間と時間をかける余裕から生まれて

いたのかも。。。


古きよき時代。。。


江戸時代の所作から感じます。


さとり