序章 / 何故私はマレーシアへ?
10月8日。深夜便のチケットを片手にマレーシア行きの飛行機の搭乗口に並んでいた。なぜ私がマレーシアに旅立つことになったのか?話は1年前まで遡る。
一年前、海外研修で訪れたSEA MONKEY PROJECTという企業のプロダクトに心を奪われた。海洋汚染問題の片棒を担ぐ、廃プラスチックを集め、砕き、型に入れ、仕上げたプロダクトはとても新鮮かつ斬新に僕の目に映った。また、同じオフィス内で活動を行うEARTH HEIRのプロダクトは、フェアトレードを軸とした製造を行なっていて、繊細さの中に強い信念を感じた。彼らがオフィス内にインターン生を泊める事ができる部屋があると話た瞬間、この場にインターンとして戻ってくることを誓った。
二つの企業に心を奪われただけではなく、他にもマレーシアで生活をしたい理由が他にもあった。それは、海外で生活を行う必要性が自分にあると感じていた為だ。海外経験に乏しい私は、外国の方が話す文脈や価値観に対して理解できない事が日本で暮らしている際にあり、言語情報として風習や生活様式の上に成り立つ価値観を理解するのには限界がある。なので海外で生活を行い、文化を生で触れる必要があり、様々な国が渡航先として挙げられる選択肢の中で、多様な民族や人種の人々が集まるマレーシアは最高のチョイスだった。
緊張感を胸にボーディングブリッジを一歩ずつ進む。異国の地で三か月弱のインターン生活もこちらに一歩ずつ歩み寄ってきていた。
行きのフライト
———————————————————————
1章 / 祭
管楽器と太鼓が奏でる音楽に呼応する様に胸の昂まりを感じる。地面が冷たい。鏡面の様に美しく磨かれた大理石の床が光の世界を映し、ここに立っているのだと自覚する。脳が震える。これが祭なのだと。
(インドの新年を祝う祭りデュワリを感じて)
———————————————————————
2章 / マレーシアのご飯
手で頂く。
マレーシアのグルメ達。色んなご飯があるのは多民族国家かつ、地理的に様々な国家や文化に影響を受けてきたからだろう。
マレーシアのご飯に関する話をここで一つ。
いつだって決断をすることは面倒くさい。特に夜ご飯を決めると言ったら。ナイフもフライパンも握らない。少し握りたい気持ちもあるが、ここあたり一帯、繁華街。グローサリーストアなんて全然ない。だから必然と外食という選択肢しか残らない、。だけどどこのお店で食べるか決めるのも非常に労力を使う。日本にいるならクーラの効いた店内で600円でお腹いっぱい食べれて、美味しいお水が無料で出てくる牛丼屋にでも行きたいところなのだか、残念ながらこの国には屋台かお高いお店の二択しかない。何も考えずに近所のチェーンのチキン屋さんに足を運ぶ。720円でバーガーとポテト、タダでおかわりができる魔法のコップが出てくる。おまけに店内も涼しい。だけどやっぱり、あんへるしー。バーガーの間には申し訳ない程度の野菜と揚げたチキン。ジャガイモメイドのポテトフライ。砂糖の沢山入った炭酸飲料、。この国は暑いからこの調理方法になったんだから、安全な水は日本よりも手に入りづらいからと自分に嘘をつく。お家のキッチンで、面倒くさいと言いながらもナイフを持つ母の姿が脳裏に浮かぶ。いつも優しい笑顔で美味しいご飯を作ってくれる両親へ、ありがとう。
———————————————————————
3章 / 命の芽吹き
命が芽吹く風を感じる。
「貴方は文明人だ」と声がする。
刈られた姿に静けさ感じる。
「貴方は日本人だ」と声がする。
マレーシアのライスフィールドに出掛けた。タイミング良く穂に実りが。
———————————————————————
4章 / 別れ
「別れは幾つになっても寂しい物だ」
日本語の教科書に書かれていた言葉がいつも胸の隅に座っている。幾つになっても寂しい別れは幾つであっても、誰であっても訪れる。この3ヶ月間に多くの人達との別れを経験した。日本にいる家族や友人との別れ、一緒に過ごしたイギリスの女の子との別れ、暖かく迎え受けてくれたマレーシアのファミリーとの別れ。マレーシアの景色が飛行機の窓から通り過ぎて行く。
そこに存在していた存在が自分の目の前から消えてなくなる。記憶の中でしか貴方と出会えなくなる。自分の記憶が薄れてしまった時、貴方という存在が希薄になるかもしれない。それはなんとも寂しい。貴方の出会い、素敵な記憶は私の脳内または貴方の脳内にのみ存在する。誰の日記に書かれていなくても、その記憶が無くなってしまったとしても事実が確かに存在していたと思いたい。そう思いたいけれど無慈悲な現実は相変わらず存在する。私が死んでしまったら、貴方が死んでしまったら事実は無かったことになってしまうのだろうか。それだけでは無く、今は名も分からぬ数百年前に生きた人々の生き様を否定しているように聞こえて嫌だった。辛かった。流動的なこの世という枠組みの中で、常に存在し続けるものなんてない。自分の目から見える別れと死は恐ろしい顔をして此方を見ていた。そんな世界で私は何の為に生きるのか。全てが何処にも残らないのになぜ生きるのか。いずれ無と化してしまう世界で生きるくらいなら、死んだ方がマシだ。
貴方を自分の中で生かしておくからいつか消えてしまう。物理的な距離が心同士のギャップを生む。もし地球の事実の中で、客観的な事実の中で貴方が生きていることにしたのならば、貴方と言う存在は惑星単位のクラウドベースに保存されることになるだろう。その思想の上で生きれば、貴方の人生も私の人生も何時になっても質量を帯びていられるのだと考えた。道端に落ちている美しさを拾えなかったとしても美しかったと言いたいから、そう想って今を生きている。
そんな僕にとって価値のある行動はみんなが幸せだと思えるように願う事と愛を伝えながら生きることではないのだろうか。
別れがあるから僕は貴方たちを私は愛す。別れが怖いから。さよならと言いたくないから。それらは自分を守る保守的な考えかもしれない。でも自分が生きている価値も、貴方たちが生きている価値も私はあると思いたい。そう信じていきたいと思った13歳の自分と同じ思考プロセスを辿った帰りのフライトだった。
———————————————————————
終章 / 僕が見ていた景色は穏やかそのものだった。
「空気が冷たい、空が暗い」
3ヶ月のマレーシア生活を終え、日本に帰ってきたのは12月終盤。帰国初日の昼下がり。自転車で颯爽と駆け抜ける程僕の心は強くないので学校まで歩くことにして家の扉を開けたもののクリスマスを控えるはずな街が寂しく見えることに戸惑っていた。あの国では強い日差と白飛びしたかのような空があった。大きな音を立て走るバイクに何だかガヤガヤ話す人々がいた。それがどうだろうか。この国ではみんな黒いダウンジャケットを身に引き締め、下を向いて駅へ向かう人々の列がある。チクタクと規則的に歯車が動いてるかの様に。陽の温かみを感じさせない鼠色の空が僕の心を支配する。あの街で、あの国で生きた僕には全てが物足りないように感じた。咀嚼をするのに味が追いついてこない様な違和感だった。
グレーカラーの僕の心を、頭は疲弊と捉えて近くのガードレールに腰掛ける。遠くから向かいすぐそこを通りすぎる電車の音は、耳の近くで反響する。どこからかボルトを閉める工具の音が聞こえる。どんな音もそれなりの大きさがあるはずなのに、芯が足りない。力強さがない。興味本位で音が鳴る方に近づいていく。音のなっている先では周りに配慮しながら作業をする人々がいた。静けさがこの国の美徳だと思うと少し心が軽くなった。
少し軽くなった心と共にいつもの道をゆっくりと歩き出す。自転車で駆け抜けていく道を、ゆっくりゆっくり進むと、いつもは見えない物が見えてくる。鉄製の柵が蜂の肌のようにまだらに錆びている。建物と道の間に白くて丸い石が沢山詰まっている。今は無い建物が書いてある手書きの地図が掛かっている。いつもは存在すら知らなかったものが見えてくる。この国がつまらない訳でないことに気がづいた。お互いが侵略しない秩序を持って個々が生きている。グレーカラーの様に感じた僕の心は、彼らが発するパステルカラーに気がつけていなかっただけだ。
そう、
僕の心は、見える世界は「穏やか」そのものだった。いつもは聞こえないあの声が、いつもは見えないあの景色が。穏やかさを握りしめて、抱きしめて生きたい。そんな風に生き急がずに。在ることを噛み締めて。やっと手に入れた静寂だった。
———————————————————————














