の続き。


神戸駅前からぶらり🚶



若い時に働いていたケーキ屋さん。

ホテルや喫茶店を中心にケーキを卸してた。

その時、卸してた喫茶店は、

今は、スターバックスに。




メリケンパークのオリエンタルホテル。
ラウンジ、ロビーのカフェ、宴会用にも、
卸してて、よく納品にも🚛💨
若かりし頃の思い出。




ホームセンターで買い物。
広すぎて欲しいものにたどり着けず、


とりあえず、ペットに癒されたり、
家電調理器に誘惑されつつ、
(ゆで玉子5分、2980円、すごいのか!?)

防災用品コーナーも気になりつつ、


目的のもの。

新年早々、目覚まし時計、壊れてたので💦



港、ウロウロ🐾



新年、妻の実家に行った時、
能登の震災の話から、阪神淡路大震災の話に。

妻のお義父さん、
昔は、明石海峡大橋の建設にも関わった
大型のクレーン運転士。


阪神淡路大震災の時、明石海峡大橋の現場から、
湊川の震災支援に行ったそう。

普通なら片道1時間の現場に、
その時は、交通網が混乱、
規制がかかる中、片道6時間かかったらしい。

行きに6時間、帰りに6時間。
朝は、暗い中に出発して、
夜は、夜遅くに帰宅。
(あんま、寝れんかったやろな)

当時、17歳の妻は、それに合わせてお弁当を
作っていたとか。


しばらくして、交通許可書ができて、
片道2時間ぐらいになったが、
その内に、交通許可書のコピー偽造が出回り、
また6時間に戻ったとか。


私はそれを聞いて、我が家のエピソードも
含めて謝りたくなった。


うちの親父は、

阪神淡路大震災の時、岩手に単身赴任中。

なかなか安否確認できないのもあり、

3日間かけて帰ってきた。

こういう人もいるので交通網は混乱していた

と思う。



一家の大黒柱として、
居ても立ってもいられなかったのは分かる。

ただ、帰ってきて話すのは、
道中、どれだけ苦労したかの自分の話。
あげくの果てに、疲れから風邪をひくという。


そして、昭和の亭主関白もあり、寝たまま、
母親にあれをくれ、これをくれ、
とイライラして言うその姿に、

さすがに自分は見ていれず、
寝ている枕を蹴って

「何しに帰ってきてん!
お前の飯がもったいない、帰れ!」
と言ったのを覚えている。

自分の親に対してひどい話、
今ならもう少し、丸くおさめたかもやけど、
やっぱり、若かった。

親父が帰ってきた時には、
電気・ガス・水道、もとに戻ってて、
そんなん無い生活、想像つかんやろしね。


今、ネットで見る
YouTuberやタレント議員の支援。
何かしたい気持ちは分かるけど、今なんかな。
自分中心になってないやろか。

どのルートで行く?
車で行くなら車はどこに停める?
何を食べる?
どこにどれだけ滞在する?

現地の人、地元のスタッフの方が、
怒りや悲しむことになってないことを祈る。

自分は自分の親ですらピリピリしてた。
自撮りや自分勝手な配信は、正直アウトかな
と思うわ。



メリケンパークで、
白バイのパフォーマンスのイベントやってた。





何となく、ここに来たかった。

ホテルオークラの東側。


阪神淡路大震災で崩れたままに

残されたエリア。




阪神淡路大震災の時、製菓の専門学校に通ってた。

当時、専門学校の先生が、某一流ホテルを紹介してくれた。けど、実際面接ではベーカリーならということで、迷ったあげく、その時はケーキが作りたくて、その話を断った。
お世話になり、よくしてくれた先生だけに迷ったけど。

その判断は、昔も、今も、後悔はしてなくて。
(どうせ気まぐれシェフに落ち着くだけやし)

けど、若かったので、ない頭で考えたな。
大人の事情とかも気を遣いながら。


まだ震災で崩れる前のちょうどこの場所。
石のベンチもあったかな。


それが震災後も、そのまま残されてるので、
若い時、何か選択に迷ったら、よくここに来た。



まわりには、当時の被害状況の展示も。


最近はもう来ること少なく、久しぶりにきた。
自分の若い頃の思い出の場所。

なんとなく、昔の自分を思い出せる、
リセットできる場所。

今回は、なんとなく当時のことを
思い出すために。



帰りたくなる場所


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巨大な魚のモニュメント。





阪神淡路大震災の復興の灯火、
ルミナリエ。

いつもの期間でなく、
また開催するみたい。4年ぶり。

2024年1月19日(金)~1月28日(日)



準備、始まってた。



生田神社に繋がる生田ロード。


専門学校に通ってた時、さんプラザ地下の
パスタ&ケーキのお店でバイトしてた。
みんな仲よかった。

震災のあった1月17日、バイト先の新年会の
予定やった。


当然、新年会などできるはずもなく。
お店も震災で失くなり、
社員の方、バイトを続けるメンバーは、
震災の被害が少なかった各店に別れ、
地方からの学生メンバーは、一時帰郷。
自分も含めて就職組は、それぞれの場所へ。


ようやく、みんなで集まれたのは、
震災から1年経った春やったかな。

お互いのその時のこと、これからのことを
気遣いながら、ただただしゃべって、
何よりまた会えたことが、
ほんまに嬉しかったの覚えてる。

でも、思い出の場所がなくなったのは、
なんとなくやっぱり寂しかったかな。



神戸の中心、三ノ宮駅前。

そこから見える時計、今も、5時46分。
1995年、1月17日、あの日のまま。



今回、能登の震災に合われた方々、
早くまた笑顔で過ごせるようになってほしい。



能登の震災をみて、
なんとなく心の中、ざわざわしながら
散歩したブログ、でした。







お読み頂きありがとうございます🌳