神戸港🛥️


(お借りしました)


洋菓子、パン、珈琲など、
西洋文化が早くから入ってきた港。


そこに、
兵庫県北側の但馬牛ルーツの神戸牛や
六甲の自然水からの、灘のお酒など、



古来のものと、西洋のものが
融合した街、神戸。

(↑食べもんのことばっかじゃねーか😅)




そこにいたるには、数々の難関も。

今は旧居留地、と呼ばれる
おしゃれな街並みの三宮神社の南側エリア。

昔でいう、神戸外国人居留地。



三宮神社、

その前で繰り広げられた155年前の事件。
神戸事件のことが記されてました。


1868年2月4日(旧1月1日)
江戸幕府が諸外国に開港した港、
神戸港。

その前に、外国人のために
「神戸外国人居留地」が造られます。
(せっかくの浜からの参道をぶったぎり…凝視)

(お借りしました)


その頃、このあたりは江戸幕府の尼崎藩の統治。
しかし、
時代はまさに江戸から明治に行く直前。



朝廷側の備前藩は、
幕府側の尼崎藩を牽制するため、
西宮に約二千の兵を移動させます。

その一隊が、三宮神社前を通過する際、
事件は起こります。



その一隊が進む中、そこをフランス人水兵2名が横断しようとします。

その隊の砲兵長は、フランス人水兵が横断しないよう槍を持って制止。

が、なおも振り切り横断しようとする水兵。
槍で対抗した際、軽傷を負わせてしまいます。

するとそのフランス人水兵、今度は近くの建物に入り、銃を持って出て来ます。

それを見た砲兵長、
「鉄砲!鉄砲!」と自隊に伝えたのが、

発砲命令と聞き違えた藩兵が、発砲。
英・仏・米の守備隊も加わり銃撃戦に。

双方、死者はなく負傷者もほとんど出なかった
ものの、明治政府、最初の外交問題に発展。

砲兵長、滝善三郎の切腹により、一応の解決となった事件。


(↓当時使用された型の大砲)


………………。

私、神戸事件、調べて後から知ったんですが、
このフランス水兵、酔っぱらってたみたいですよ真顔






今と昔、比べても仕方ないんですけどね、
今でいうと、


よその国で、交通ルール無視して、
道路横断しようとする
酔っぱらいの外国人2人組を、

警備の人が注意しても効かず、
取り押さえようとしたら、
逆ギレして、ライフル持ち出してきた。

……ていう話ですよね。

(今のあなた達の国、
上空飛んでる気球すらを落とすでしょ物申す)

飛躍しすぎでしょうか😅




しかも、この事件が起きたのは、
居留地の外、日本の敷地内。


諸外国の言い分としては、
「我々が安全に生活できる保障がほしい」と。


いやいや、
この事件のあと、外国船が兵庫に停泊していた
日本船を拿捕してるし、
居留地周辺の日本人は怖くて山に避難したとか。

今の時代でも、
どの国の民に向かって政治してるんだ✊
と、言いたくなる時ありますが、
当時の神戸の方も思ったのではないでしょうか💦



まあ、そんなこんなの歴史を乗り越え
今の神戸の街があります。




三宮神社、

目の前で起こったそんな事件も、
そっと見守ってきたんでしょうか。



あと、三宮神社で少し興味深いことが。

昔、こちらの神社、こんこんと涌き出る
湧水が境内にあったみたいです🌀



航海に欠かせない飲料水。
港近くにあり、船乗りには
とても重宝されたのだとか。


こちらの神様、
いろんな時代で、いろんな事件があっても、

自然の恵みとともに、全ての人を平等に
見守ってこられたんかなと😌

神社の歴史妄想好きは、思うのであります。



今も街の中で、そっと見守ってくれている🙏✨
……ような気がします。




お読み頂きありがとうございます🌳