2021/7/11 参拝ブログ

  生石神社 (兵庫  高砂)  



明石と姫路の間、


高砂市。



出雲のゆかりの神社、地名、多く残っています。


この日、向かったのはJR宝殿駅から南西へ。


播磨の「石の宝殿」と呼ばれる巨石が御神体の


生石神社(おうしこじんじゃ)へ。


※生石(おうしこ)と読みます。




近くには、竜山石という綺麗な岩の採石場がいくつかあります。

古墳時代には「王の石」として石室、石棺などに使われています。


そんな山間の上にある神社。


神社ふもとには、焼け崩れたような家紋の石が2つ。

後で由緒書きで知ったのですが、

1579年、羽柴秀吉が神吉城を落とそうした際、この神社に陣を貸せという申し出に拒否したら、焼きうちにあったとのこと。

ちなみに神吉城の城主は、当時の神社宮司の兄にあたるらしい。
初めから焼き討ちする気満々やん。


古代史を知りたい者としては、戦国時代と近世の戦争は罪でしかない。
(戦国時代の歴史好きな方、すいません)

焼くなー、て言いたくなる。
いろんなものが焼失する。

それも含めて歴史なんですが……

その時、戦利品として没収された梵鐘が、岐阜県大垣市にあるらしく、そちらは指定文化財となっています。


暗い話から入ってしまいましたが、

気を取り直して、鳥居をくぐっていきましょう。


駐車場がこの高台の南にあり、車では神社のすぐ側まで行けます。

前回は、そちらから参拝したので、こちらの階段を上がるのは初めて。

自分はこのルートの方が好きです。

落ち着いた緑に、お祓いしてもらってから参拝できるような、そんな気分にしてくれて。


ゆっくり緑の中をくぐっていきます。
ただ結構な傾斜の階段です。


真っ直ぐ上がってくると神門前に出ます。

この日、生石神社に来たのには理由がありまして、

先々月、この南にある荒井神社と高砂神社を参拝した後、高御位山に登拝する為に向かっていたら、

1本筋を間違え、道に迷ってしまったんですが、

その先にこの神社があったので呼ばれているのか気になっていたんです。

その時はそのまま元の道に戻り、高御位山に向かってしまったので。


神門前の景色。
高砂市、加古川市が目の前に広がります。


手水舎。

何か訴えかけられたような気がして、
アップで撮ってしまいました。


狛犬さん。


狛犬さんは、何かを祈るかのように
空を見上げてました。

播磨、石の宝殿。

いきなり巨石の参拝の写真を載せると、分かりづらいと思うので、先に全体像を。

こんな形の石の御神体。

幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2mの
500トン以上あると言われています。

岩山から、四角いブロック状で後方に三角の突起が出ているような形に掘り出されています。


この岩質の水平にノミの入る場所を読み、この形状にくり貫き出すのは、奇跡に近い相当な技術らしいです。

さらに地面からは水平に切り離されていて、
これを石工の作業では「浮く」と言われているので、

「天の浮石」とも呼ばれています。



その御神体の巨石の前に、拝殿があります。

御祭神は、
大穴牟遅命
少毘古那命。

西暦97年、崇神天皇の御代、全土に悪疫が流行した時、ある夜にニ神が天皇の枕元に現れ、

「吾が霊を斎き祭らば、天下は泰平なるべし」

とのお告げがあり、創建したのが始まり。
以来、悪疫も終息したとか。


向かって左側に
大穴牟遅命。

大国主大神 
生石子大神
として祀られていました。



向かって右側に
少毘古那命。

粟嶋大神
高御位大神
として祀られていました。

これを見た瞬間に、あっ!と思いました。

実は、高御位神社の御祭神も、大穴牟遅命、少毘古那命の二神なのですが、高御位山とこちらの山、それぞれ対となり、祀られていたのを知りませんでした。

高御位山は少毘古那命がいらっしゃることを教えてくれようとしていたのかと。

呼ばれている時は、本当に何かあるんだなと
あらためて思いました。



拝殿をくぐる形で御神体の前に。

実は前回来た時は、神社に今ほど関心がある前で、ただ石を見て帰った感じでした。

今思うと、
拝殿をくぐって、これだけ大きい御神体の周りをこの近さでまわれるって、
なかなかすごい、と思うわけで。

ではでは、いざ参拝。


もうね、完全に見上げる状態です。


ただただ、なんかすごい。


宮城県、鹽竈神社の塩竈、
鹿児島県、霧島神宮の天逆鉾

そして、こちらの播磨石の宝殿

日本三奇と呼ばれているみたいです。


次回、この石をじっくりまわっていきたいと思います。


続きます。