京都市左京区、狸谷不動尊の参道。
富岡八幡宮の殺人事件。神罰やなあ、と思う。
運転手さんは巻き添えのようで気の毒やけど、
神様にしたら「加担した」と思われたのかもしれない。
幸い命は助かったようで、そこは手加減して下さったのか。
神様には「畏れ」を持って接しなければならんのに、
神職でありながら姉、弟共々に欲にまみれた罰当たり。
穢れを嫌う神様に、我欲まみれの姿で仕えた。
そりゃ怒る。神様の怒りって容赦がないのだ。
神様は現世の加護や御利益も与えて下さる代わりに、
怒り出すと止まらなくて、とばっちりさえもある。
富岡八幡宮の次の神職さんは
怒りをお鎮めするのに並大抵の苦労じゃないだろうな。
これは私の解釈だけど、仏様は来世への「導き」。
だから、人間死んだら終わり、と思っている人には
仏様の導きは無用なのかも知れない。
その代わり、死んで「よい所」へ行けるとも思えない。
遠い昔から五穀豊穣を祈願、病気が治りますように、
良縁に恵まれますようにと御利益を願って来たのが、神様。
仏様には心の迷いや苦しみの救いを求める。
亡くなった人の来世を願う。
日本人は無宗教だと言われるけれど、いやいや.....。
除夜の鐘を聴いてゆく年の罪が滅ぶのを願い、
初詣でくる年の幸運を願っているではないの。
意識しないまでも、神仏と共に生きているのだと思う。
聞いた話では、神様は自分の「氏子」以外に興味は薄いのだとか。
なので、遠くの有名神社にお願いに行くよりも、
規模は小さくとも地元の神社の加護の方が大きいのだそう。
で、願いを聞き届けて頂いたら必ずお礼参りを。これ、必須。
地元を離れて暮らす場合は引っ越し先の神社へご挨拶。
「ご厄介になります、どうぞよろしく」。と願うのがいい。
境内にゴミが落ちていれば拾い、小銭があればお賽銭を。
神様は見ておられるし、気に留めておいて下さる。
まあ、事件の姉弟は言語道断。
神様の一番近くに仕えて畏れを知らなさ過ぎた。ナメてた。
死んだら後は仏様の領分だけど、
浄土へ行けるとも思えないなあ.....。
